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クラブラグビーの僕②

前回の投稿にて、気づいたらクラブラグビーに引き合わされた僕。

いきなり大学同期のNくんに呼ばれ、そしてゲームに出場することに。

アップに加わり、特にチームの決まり事とか確認することなく、ゲームは始まりました。
その時の率直な印象、

「レベル低っ・・」

そのゲームに参加していたメンバーは、
・地元高校卒のその時点のレベルしか知らない人とか、
・Over30で腹は出るが足は前へ出ない人とか、
で、動きが合わないしついてこられないし、ちぐはぐでムダにストレスたまってました。

一方で、
・やたらムキムキな体のCTB Mさん
・なぜかおでこから出血しがちな医者のCTB Hさん
・夜のほうが多く顔を合わせていたWTB Aさん
・意味不明な動きで味方も翻弄されるパスの下手なSH Oさん
・同世代だがオラオラ感むき出しのNo.8 Mくん
 (後に同い年ということが判明)
などなど、得体のしれない人たちが所属するチームでした。

個々にはスキルを持ち合わせていたと思いますが、それぞれがそれぞれでプレイする、しかしかみ合わない、そんな印象。
なので、この時の気持ちとしてはスポット的な参加であくまでNくんを立てるための「サポート」。
呼ばれれば行くけど、自発的には行動を起こさない。
あくまで受動的な姿勢でした。

けど2年目あたりで少し変化が。
実業団出身(現在リーグワンのチームの前身)を引退した人が、なぜか一緒にプレイすることになり、チームとして機能するようになりました。
それも影響してか、勝ちグセがつくようになりチームの方向性も定まり、
結果として地域下部リーグを優勝して上のリーグに昇格することができました。
そのあたりから、僕自身も心境の変化が起こり自発的にチームに働きかけることが多くなってきたような記憶があります。

その翌年から上位リーグでの戦い。
対戦するチームはよく鍛えられており、厳しい戦いが多かったです。
そんな中でもチームの力は向上してきました。
その要因として考えられたことが2点。

①その時のルールに応じたスキル、戦略を与えられ吸収できた
チームの監督は同時に中学生チームの指導も行っており、教え方を心得ております。
メンバーがそこそこ揃ってきたということもあるとは思いますが、練習日にちゃんと落とし込みゲームで実行、できた/できてないを確認しあい次回に生かす、俗にいうPDCAが回されていました。
それによって、不安な点を軽減し自信をもって毎回ゲームに臨めるようになったことが大きかったと思います。

②意気投合できる仲間との出会い
このチームへの参加2年目くらいだったと思いますが、違うチームから移籍された人たちがいました。
年も近いことがありすぐに接点を持つことになりますが、この人たち基本的にラグビーの話をしない。
けどラグビーをやるときはそこそこ真面目に。
(あくまでゲームは)
そんな彼らとはラグビーのある日曜はもちろんですが、金曜・土曜も一緒に過ごすことが多くなりました。
とにかく飲む、はしゃぐ、時に泣く。
そんなこんなで結束が強くなり、それがチームにも作用したように思います。

そういった要因からチームは強くなり、
ピーク時は県大会で優勝、その後の関西大会で優勝、
全国クラブ選手権出場の一歩手前まで勝ち進むことができました。

しかしながら諸行無常の世の中。
少しずつメンバーも入れ替わり、
ラグビー自体も少しずつ変化し、
また周りのレベルも変化していき、
チームの力にも陰りが見え始めてきました。

そして、僕自身も家庭を持ったり仕事の変化があったりと、
だんだんとラグビーから遠ざかっていくように。
若いメンバーが出てきたし、もうラグビー頑張らなくてもいいかな。
観て楽しむくらいでいいかな。
実際にそんな感じで徐々にフェードアウトしていきました。
前出の仲間とは、はしゃぎ方は変わったものの、楽しく集まったりはしていましたが。

ですが、あるタイミングで自身のスタイルを変えて再びチームに関わることになっていきます。
それについてまた綴っていきたいと思いますが、その前に仲間と楽しくやっていることのひとつのアクティビティを次回紹介します。

次回、ビーチラグビー篇にて。

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