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私はわたし

【知らない人】

うちの旦那役立たずなの
早く別れたい
一緒にいるだけでやだ

初対面の私に彼女はこう話し始めた。

私はパートナーの愚痴を聞くのが好きではない。

DV等で逃げたくても逃げられない。
そんな状況なら仕方ないかもしれない。

でもパートナーの悪口を今日会って数分の人に言うくらいなら別れればいいのにって私は思う

「私は痩せて綺麗になって、今の旦那と別れて、○○さんに似たカッコいい人と再婚する事が夢なんです。」

目をキラキラさせながらその女性はその後もしばらく私に語り続ける。

話を聞きながら自分の思考と感情を自覚する。

うーん。この人正直痩せても綺麗にならないような気がする。
だってこの人そこまで太ってない。
だから痩せてもそこまで変わりないと思う。
痩せる=綺麗じゃないと思う。
綺麗の定義ってなんだろう。

外見が綺麗な事だけが綺麗なのか。
そもそも人によって綺麗と思うかそうでないかも違うように思う。
この人に足りないものは美しさではなく自己肯定感だ。
あとは他者への現状への感謝なのではないか。

どうでもいいけど私はこんな話嫌いなんだな
あぁ、私はこんな人嫌いなんだ。

かなり上から目線だとも自覚しながらそんな事を考え、弾丸トークの彼女の言葉が頭の中ひらひらと通り過ぎていくのを感じた。

嫌ならスルーすればいい話。
こうやって何となく応えてしまうところが私の悪いところである。

きっと今までの癖であり習慣である。

【私の特性】

私は喋りかけられやすい。
世界中どこに行っても初対面で人に話しかけられる。
タクシーの運転手から人生相談うけた事も数回ある
(その時は出会えてよかったもお礼を言われ、タクシー代は無料にしてくれた)

それがよく働く事は多々ある。
その特性は仕事にも活かされた。

女性は私に語り続ける。

夫婦は10年経つと愛はさめる
女性は我慢しなければならない
私は醜い。痩せなきゃいけないけど食べたくてたまらない
運動は苦手でしたくない
私は夫が頼りないから何でも自分で決めなきゃいけない
結婚したら添い遂げるまで我慢しなければいけない

初対面かつ、お互い名前も知らないのに弾丸で愚痴を語り続ける女性。
そしてそれに応える私。

【変化する私】

コロナ禍で色々考えた事がある。
そのうちの一つは

もっと自分に正直に生きてみよう

ということだ。

私は人にいい顔をしていたんだ。
もうやめようと思った。

今、彼女は私が反応するから心地よく?喋るのだろう。

だから反応することをやめてみた。
すると彼女は話をしなくなった。

やはり反応しないと相手は話しにくくなるのである。
改めて私の無意識の反応が相手の話をよくも悪くも誘導していたことに気づいた。

よく知る友人や仕事での愚痴聞きは苦にならない。
しかし会って数分の人から聞く愚痴はかなり苦痛だ。

彼女の口から出るのはマイナスな話ばかり。

初対面でこんな状況なら家ならどんな様子なんだろう。
話す言葉がネガティブオンパレード。

数分聞いているだけでも疲れてきた。
これをずっと聞いている家の人なら相当大変だと思った。

同時に自分の事に置き換えた。
私も同じようなことはないだろうか。

自分は大丈夫。
自分は間違っていない。
自分は正しい。
相手が悪い。

そう思うと何も見えなくなる。
本質が見えなくなる。
つまり改善点がわからない。
彼女の話を聞くに今後改善することはないだろう。
そしてまた誰かに愚痴を吐き続ける。
全く持って悪循環である。

もちろん相手に問題がある事はあると思う。
同時に私は人間関係の問題には対話が必要だと思っている。

他責にすることは簡単だ。
しかし他責にしても何も変わらない。
相手が悪い!私は正しい!では対話が出来ない。
そして問題は解決しない。

どんな状態を目指しているのか。
どんな状況を望んでいるのか。
よりよい状態はどんな状態か。

理想論に聞こえるかもしれないが
私は対話したい。
対話できるのがいい関係性だと思う。

そして私は常に問題が起これば解決したいのだ。
対話と解決。
それが私の価値基盤である。

【思い込み】

今日の女性の話には色んな思い込みがあると思っている

例えば

「女性は我慢しなければならない」

といった。

なぜ我慢しなくちゃならないの?
どんな事我慢してるの?
相手は全く我慢してないの?
それって本当?

と聞いてみたい。
実際私が聞いたらうざいやつになると思う。
事実私は自分でも認めるかなりめんどくさいやつだ。

何か起こった時、自分に問いかけてる。

「それって本当?」

って。

それでも私が主観的に見る世界。
見えない所もあるし、見たくない事もある。

つまり私にも色んな思い込みがある。
それを自覚しつつ生きていく。

そして私は私。

今まで無意識で人に合わせてきたように思う。
他者から見ると人に合わせているようには見えないかもしれない。

でも私はコロナ禍でそう感じたのだ

「私は他人を気にして合わせすぎている」と

私を自由に解放させて生きていく。
しかし私がこれ以上自由になったらどうなるのか。

もしかしたら怖すぎる暴走が起こるかもしれない。

暴走したら?
またその時考えよう。
遅すぎないうちに気付けるように。





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