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自分に肩書きをつけたくない理由

「ほら叩いて!ほら気がすむならもっと叩けー!」 思いっきりの笑顔を作り、私は大声で笑いながら叫んだ。

猪毛のブラシで叩かれ、赤い斑点が滲んだ体。
手で叩くと自分の手がお前のせいで痛くなると言われた。 だから物差し、ブラシ、ベルトで殴られるのだ。

このままじゃこんな状態がいつまでも続くと思った。それは嫌だと思った。 泣けばまたやられる。
じゃーどうしたらいいのだろうかとやせっぽっちの小さな私は考えた。
考えて考えて考えたんだ。

それが笑え!!だった。

泣けばまたやられる。 だったら逆張りはどうなんだろうと思った。
血が滲み赤い斑点だらけの私は思い切っ切りの笑顔で叫んだんだ。
作戦は成功した。

「気持ちわる」 母はそう一言いい、それから私の事を叩かなくなった。
勝った!私は勝ったんだ。そう思った。

同時にそれより前の記憶はなくなった。
無意識に私はそれまでの記憶を葬り去った。
小さな私はそれまでの私から新しい私へ生まれ変わろうとしたのだろう。

子供を3人産み、私は記憶が戻った。 その事にも私は意味を見出したい。 私は自分に肩書きをつけたくない。
なぜこんなに私は自分に肩書きをつけたくないのかを先日からずっと考え続けていた。

"肩書きをつけることは人の思考を停止させる" そう私自身が思っている事に気がついた。 例えば"スマホ"といえば人は 「はい、スマホだね」 と思い、そこから深く考えない事はないだろうか。

しかしスマホといっても色んな側面がある。

・物事を調べるツール
・誰かと連絡をする手段を持つもの
・情報のアウトプットをするツール
・世界とつながる媒体
・アイデアの玉手箱

スマホとは何か?と考えるとそれには色んな使い道が見えてくる。
そしてスマホどのように捉え、どのような価値を持つか持たないかは人によって違うのではないか。

しかし、スマホという"肩書き"をつけることで あーそうなのね。
それね。 と人は思考を停止させていないだろうか。

私は自分に肩書きをつける事は "あーアタマノセイリさんってそんな人なのね" と私の勝手な思い込みを埋め込み、人の思考する力を奪ってしまうと感じているのだ。

もちろん肩書きをつける事で相手に "私はこんな人ですよ" と戦略として自分の事を伝える事ができる。
メリットをわかっていてもそれをしたくない。

なぜか。 人の思考する力を奪うこと。 それは私が一番といってもいいくらいしたくないことだからだ。
私は思考が私を救ってくれたと感じている。

追いやられた時、どうすればいいか常に考えていた小学生だった。
助けを求めても誰も助けてくれなかった。
頼れるのは自分だけだと思っていた。

追い詰められた時、逃げるパターンを4つは考えていた。
考えること。それが私を窮地から救い出してくれたのだ。
私が自分に肩書きをつけたくないり理由。 それは人が考える事を止めたくないから。 私の肩書きは私自身だ。 私にはいろんな側面がある。

肩書きは私がつけなくてもいい。
皆が、周りが私の事をどう呼ぶかを考えてくれたらいい。 私はそれぞれの人がつけてくれた肩書きのようにうつるはずだ。

私の名前は私自身だ。 あなたは私にどんな肩書きをつけてくれるだろうか。

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