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音楽性の違いと人の気持ち

応援していたバンドのひとつが、活動を休止するという。まぁ、こんなことは永遠のバンギャの看板を掲げている者としては何度も経験してきた。

メンバーチェンジも活動中止もなく続けている推しバンドは…ない。なんなら、誰かが亡くなって活動できなくなったり。音楽性の違いで脱退したり、解散したりして。形がなくなってしまった推しバンドの方が多いくらいだ。

音楽性の違いってなんだろうと、真剣に考えて途方に暮れた少女時代もあったけれど。要は人間関係が破綻したんだよね、と大人になって理解することとなる。

人の気持ちなんて、どうにもならない。

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私は今は個人事業主で仕事をしているけれど、以前は志が似ている人と共同運営した事もある。けれど最後は人間的にお互い嫌になって分解した。

結婚生活だって破綻したし。自分の親とですら反りが合わず、お互い線を引き距離を置いて付き合っているというのに。(ん?私に問題か?)

人は全て平等に男運(女運)を100持っていたとしたら。私の85は息子に使ったと思う❤︎親バカ。ワガコに対する愛と比べたら、他人の異性に向ける愛なんて羽毛くらい軽い。種類が違うとはいえ、同じ熱量は注げない。

人の気持ちなんて、どうにもならない。

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「好き」かどうかを確認し合うのは恋人同士くらいで。それだから特別な関係なんだろうけれど。

だけれども、
人が自分の事をどう思っているか確認する行為って、いくらか横暴で残酷だなと思ってしまう。それを確かめられない、あなたの逃げだと言われたらそれまでだけど。

聞いたところでね。
人の気持ちなんて、どうにもならない。

30数年来の友人に、私のことどう思ってる?なんて確認したことない。連絡なんて取り合わなくたって、絶対的な大丈夫がある。人間関係の本質ってこれなんじゃないかなと思う。(でも向こうがどう思っているかはわからないという逆説付き)

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バンドの音楽性の違いから随分脱線しちゃった。

人間関係の構築って、努力を怠ってはならないけれど、気づいたらなんとなく足並み揃ってずっと近くで歩んできたね、ってそれでいいし、それしかないのかなと思う。

メジャーなバンドならば、バンドの収益、事務所やレーベルの運営、バンドを支えるスタッフ達の生活がある。バンドを終えるというのは一大事な訳だけれども。バンドマン各々の人として人生としては致し方ない。

ファンは勝手に好きになって、勝手についていって、勝手に期待して、勝手に嘆いていても仕方ないかなと思うのです。それは人間関係も同じ。

人の気持ちなんて、どうにもならない。

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