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本当に「慣れ」かしら?

あなた、本当にそれは慣れ?

近々本帰国する人が、
バンコクに来て初めて専業主婦になり、
所属がなくなる経験をした
という話があった。

どうでしたか?と尋ねると、

よい経験でした、
どこにも所属がなく
誰かの妻、母として
どこの誰とも言えない
揺らぐモヤモヤがありました。

私はそれを聞いて、こう答えました。

何だかとっても懐かしい気持ちになりました
もう慣れてしまって。

するとすかさず、隣にいた先生が、

それは本当に「慣れ」かしら?
あなたは、「あなた」として、
自分の居場所を見つけているのでは?



ほぅ。
なるほど。


もちろん私にもあった。
会社を辞めてバンコクに来て
夫の姓をメインで名乗り
(でも、海外なのでLast Nameで生きられたのは救い)
夫とセットで見られることの
居心地の悪さ
わたしは、「わたし」なのに

それから、友達が増えて、
誰かの妻でない、「わたし」の場所が増えて、
今、サードカルチャーキッズを伝える「わたし」
言語教育を話す「わたし」
として活動する機会が増えた

別に何かの活動をしていなくても、
夫がどこの誰か知らなくても
わたしを「わたし」として知ってくれて
仲良くしてくれる人に出会い、
居場所を見つけた、ということか


それを、単に「慣れ」と呼んでしまった
簡単なことではなかったはず
とっても尊いことではないか!

「慣れ」と言って
少し自分を蔑んでしまった
恥ずかしさ

「わたし」はもっと胸を張って生きていい


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