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同人誌を「仕事」にしたら悲劇しかなかった話

私は結婚前にプロでデビューした。

けれど、雑誌社は不況の煽りで潰れ、その後は季刊で持続的な雑誌を出してくれてはいたが、原稿料は1枚500円だった。みのり書房の原稿料は当時5000円くらいだったかと思う。つまり1/10になった。

当然食べて行けないので仕事を探した。文具店他で働いてはいたけど、この先どうするのか。アシスタント募集の広告で、竹宮恵子先生のアシの試験に受かり、最終まで残って面接を受けたが「うちは一度デビューした人は取らない。あくまで新人を育てたいから」とのことでダメだった。

どうしたらいいか自殺も考えた。けれど漫画は続けたかった。そこで当時の「逃げ恥」。家政婦?ならいいんではないかと、大学の同窓生と結婚した。元々知り合いなので婚活などはしていない。

しかし、結婚すると今度は「DINKS」などは許してくれなかった。「産まないなら離婚しろ」「1人でいいから孫を産んで」

「漫画をやりたい」は許してくれなかった。絶対に。「そんなものは老後におやりなさい」「今は子育てに集中しなさい、女性というのはみんな子供のために生きるもの」

生まれたら子育てが待っている。それでも仕事を続けたくて、近所の保育所を当たった。まだ当時は「女性参画」なんて言葉はなかった。保育所は笑って言った。

「ここはきちんとした仕事を持っている人が来るところ。あなたのは在宅でできる。9時ー5時で仕事見つけてから来てくださいね」

それでもまだ漫画を続けたかった。主婦だって隠していたが、不思議と支持してはいただけたので同人誌で続けることにした。

けれども、それは同時に悲劇の始まりだった

「同人誌」を、趣味を「仕事」にしたらどうだろう?

これはいいアイデアだ、と思った。「仕事だ」といえば義理の母はちょっとの間孫の面倒を見ると言ってくれた。

ただし仕事である。条件がある。「絶対に家に迷惑をかけない」「絶対に家計に迷惑をかけない。黒字はいいが赤字になったらすぐ辞めること」

「赤字にしてはならない」は物凄いプレッシャーだった。趣味ではなく、ビジネスでなければならないことで、私は数年続けるうちに「何が好きか」を忘れた。好き?萌え?そんなのどうでもいい。ニーズ。

ブームの変遷は早い。現場はトレンドとの戦いになる。「自分の時間」の為に描いてるのではない。女性は、母親は、そんなわがままを言ってはならんのだから…。ツールも変遷期で、次々について行かねばならなかった。

やがて私は精神を病んだ。「なんか死にたい」「自分なんかいなくても…いや生まれてきたのがそもそものミスでは?」

そんなことばかり考えるようになった。

即売会の前日は全く眠れなかった。売れなかったらどうしよう。赤字なら電車に飛び込もう。

そんな私に、ダンナは追い討ちをかけるように聞いた。「何冊売れた?もうかった?」

数人で経営するならいざ知らず、大阪から1人で上京して、売れなかったらダメクズ言われる。そうして私に「才能が無い」ことに、ダンナがどこかで胸を撫で下ろしているようにも見えたのはなぜだろう?同じ芸大で、私は早くにデビューしたが、ダンナはとっくに諦めた。まるで復讐でもするように聞こえたのはなぜだろう。本来ならこの人、夢を叶えた男とそれを世話するメイドという構図が欲しいんではないのか。

また、周りの成功も気になった。アシ時代の友人は年賀状で「コミックス出ました」と書いてきた。弟も有名漫画家のアシであり、同窓生は画家で「先生」と呼ばれている。なんか自分だけがやればやるほど惨めに没落していく。

「無能なわがまま奥さんを養っている有能な俺」とか、ダンナは思うだろう。

今はそれがバイアスのかかった歪んだ考えだとわかるが、当時は悔しくて、プレッシャーで、いつも頭は「もっと売らなくちゃ」「もっと頑張らなきゃ」でいっぱいだった。

当然だが、抱えきれない位、子供のこともあった。なぜ女性ばかりこんな辛い目に合うんだろう。

ある日燃え尽きた。

あるコミケ前日。いつもならカタログでもチェックしていたかもしれないが。その日はもうとにかく「休みたい」と思った。国際展示場のあふれるような人間の洪水に「自分はここで何をやってるんだろう?」と不思議な感覚に襲われた。

そして開場後である。コミケスタッフが、お誕生席の4サークルを押し除けて言った。

「ここのジャンルは今日ヘ●リアサークルの列の邪魔になるからもう少し下がって」

「邪魔」

邪魔か。全てを削り倒して描いてきたのは何だったんだろう。なぜそのジャンルに行ってなかったんだろう。あははー。そこに夢?好き?だか?あったのかそんなもの。なんかもう、バカばかり。私も周りもみんなバカでわからずやしかいない。

もういやだ。ランキングも売り上げも人気リサーチも、委託書店も印刷所も全て潰れちゃえばいい。コミケなんか要らない。家にも帰りたくない。

死んでしまいたい。どこか、漫画の無い「マトモ」な国に行ってみたい。

…完全に鬱になっていた。精神科医は私に言った。

「もうご自分でわかっておいでですよね」

と、飲むと何も考えられない、なんかフワフワする変な薬を与えられた。


好きでやるのが本当だと思う

だが、私を苦しめたのは、1つは意外にも行き過ぎた「フェミニズム」にもあると思う。

母は中3で他界したが、とにかく「働く女性」だった。母の遺言通り入学した高校もフェミニズムな学校だった。

「専業主婦はクズ」「働かないし子供も産まない女はゴミ」「漫画家とは描く人でなく、漫画で自立できて食べていける人」「男以上に稼がないなら仕事と言えない」「仕事をしないのは恥ずかしい。主婦業は仕事じゃない」

いくつものいくつもの「〜すべきだ」という理想の鎖が私を縛っていた。

絵に関してもそうだった。

「絵はこう描くべき」「今はこうすべき」「努力すべき」

努力なら負けないと思っていたから、いつだって血反吐で努力はしたけれど、才能の世界はけして努力だけでは歩いて行けない。なぜなら、努力なんかはやって当たり前だからだ。才能が無いならむしろ「血反吐が当然」なのだ。だからこそ多少、周りの理解や協力、運も必要になる。

ならなぜもっと早く、弟みたいに上京しなかったのか?それはまた、父の倒産や借金や奨学金を着服されたりという別の複雑な問題があるんだけど。若かったこともあって、頼る人も頼る方法も知らなかった。(だもので税金だけは生活切り詰めて払ってたw)

それから、育児は終わった。子供が成長すると歯を食いしばっても働かねばという理由は無くなった。塾へやるのに、大学にやるのに、嫌でも働かなくちゃというのも無くなった。

私はすっかり自由になり、「別にもう自由にやっていい」状況になった。

奴隷解放。出エジプトである。

現代は恵まれている

現代は恵まれているよ、本当に。

個人でどこででも作品を発表できるし、もう20年も前とじゃ比べようも無いくらい状況が変わった。「在宅です」でも許され、女は子供に人生をかけなきゃダメとも言われない。保育所の件もどんな理由でも預かる所だってできた。「奥さんが片手間に趣味兼仕事」をしても、大手書店売りのコミックスが出てなくても「漫画家です」って言いたきゃ言えるようになった。

趣味や好きを仕事にするのは誰だって夢だ。もし女性がどんな生き方でも選べて、本当に好きに仕事が選べて、子供産まない女はダメクズでなくて

産んでも周りが偏見をもったりせずサポートしてくれて、元々お金が無い毒親の家庭に生まれた人でも生きれるきちんとした保障とかあって…

それなら、もっと生きやすいのに。壊れなくてすんだかもしれないのに。

自由になるべきはまず精神の方だ。世間は優等生を押し付けるだろう。けれどそこからは何も生まれない。「頑張れ」で済まされないものを解決するには「自分を許す」ことは必要だ。どんな状況や立場でも「頑張ってる」と認める、認められる。それを「人権」というんだよ。


と、今まで誰も理解してはくれなかった愚痴を書き留めた。

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