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【東京五輪陸上競技4日目(8月2日)】

三浦が男子3000m障害五輪初の入賞を達成
メダリストたちとの違いは何だったのか?

 東京五輪陸上競技第4日が8月2日、国立競技場で行われた。日本勢はモーニングセッションの男子走幅跳で橋岡優輝(富士通)が8m10で6位、イブニングセッションの男子3000m障害で三浦龍司(順大2年)が8分16秒90の7位と、2種目で入賞した。橋岡は37年ぶりの、三浦は五輪初の日本人入賞だった。
 日本新記録も2種目で誕生した。モーニングセッションの女子1500m予選3組で田中希実(豊田自動織機TC)が4分02秒33、イブニングセッションの女子5000m決勝で廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)が14分52秒84をマーク。田中は女子1500mの日本人初代表なので予選突破も五輪日本人初。廣中は9位と、入賞にあと一歩と迫った。

●ミュンヘン五輪9位の小山も順大OB

 三浦が日本人初の7位入賞を達成した。予選を全体2位のタイムで通過し、メダルも期待できる位置にいたが、やはり世界トップ選手たちの壁は簡単には超えられなかった。
「正直、悔しい気持ちはありますが、オリンピックという舞台で決勝を走ることができ、(日本人初の入賞という)結果を収めることができました。目標はクリアできました。しっかり走れたと思います」
 大会前に話していた目標は「決勝進出と日本記録更新を最優先とする」だった。入賞と8分09秒92(予選)は、最低限の目標を大きく上回った。
 男子3000m障害の日本人過去最高順位は、72年ミュンヘン五輪の小山隆治の9位。この種目は順大出身選手の活躍が多く、小山をはじめ前日本記録保持者で04年アテネ、08年北京の両五輪代表だった岩水嘉孝、前回のリオ五輪代表だった塩尻和也(富士通)らも順大OBだ。
 19年に高校記録を30年ぶりに塗り替えた三浦が、進学先に順大を選んだのも、塩尻が学生選手としてリオ五輪や18年アジア大会に出場していたことが大きかった。決勝後の取材でここまで成長できた要因を質問され、「ひとつは高校時代の基礎を大学で生かせる練習ができたこと」を挙げていた。
 順大は伝統的に、駅伝だけにとらわれない選手強化を行ってきた。トラック&フィールドの対校戦である日本インカレ、関東インカレを重視し、他校があまり力を入れない1500mや3000m障害の選手も、数多く育成してきた。
 順大の長門俊介駅伝監督は、「順大には(3000m障害の強化に)こういうところが大事なんだろう、というヒントが多くあるんです」と話す。
「岩水さんが取り組まれていたこと、私が現役の頃の3000m障害選手たちがやっていたこと。そのままやっているわけではありませんが、先人たちがやっていたことの意図を汲んで、それを現状に合わせてアレンジしています。検見川のクロスカントリー・コースを使った練習などは、自然の地形を生かした中で走りの技術や、(障害を跳ぶための)脚筋力を身につけるのに役立っています」
 大学駅伝の社会的な注目度が高く、どうしてもその成績が評価されてしまうが、五輪や世界陸上で活躍する選手を育てている大学の評価こそ、しっかりすべきだろう。

●2000mまでに余力がなくなっていた要因は?

 三浦はハーフマラソンのU20日本記録保持者で(昨年の箱根駅伝予選会で大迫傑が持っていた記録を更新)、5000mでも13分26秒78と学生トップレベルだ。ハードリングは、小学生の頃から地元(島根県浜田市)のクラブでハードル種目に取り組み、無駄のない障害越えができる。順大で行う1000m障害3本などのメニューで、障害を越えるときにスピードを上げられるようになってきた。障害の前でスピードを落として足を合わせる選手とは、そこで大きな差ができる。
 では今回、世界トップ選手たちと一緒に走り、どこに差を感じたのか。
「思った以上に最初に突っ込んでしまいました。障害にも合わせられませんでしたね。いつもと違った雰囲気の中で、自分のペースを維持するのが大変だとわかりました」
 三浦のラスト1000mは2分39秒8で、過去のレースにあてはめればメダルも可能なタイムで走っている。しかし2000m通過が5分37秒1と過去のレースよりかなり遅いので、上位選手は2000mまでに力を貯めることができ、ラスト1000mをこれまで以上に速く走ることができた。
 それに対し三浦は「最初の1000mがかなりのハイペースだった」とレース直後に話している。実際には2分50秒1の通過で、予選の2分43秒2よりも遅い。決勝はスタート直後がかなりのスローペースになり、600mから1100m過ぎまで三浦が先頭で引っ張ったのだ。その後は集団の中で走ったが、国内レースや予選と違って周りの選手から受けるプレッシャーが違ったようだ。
 長門監督は「最初が国内でもないようなスローペースで、三浦のリズムに合わず、その後の走りにも影響しました」と分析する。
「前に出て自分のリズムを取り戻したように見えましたが、前に出られたときはリズムが乱れて、障害を跳ぶときに足が詰まっていつもの滑らかさがなかった。それで最後も、のびやかな走りができなかった」
 2000m通過も予選より6秒以上遅かったのだが、上位選手たちより余力がなくなっていた。
 7位入賞ができたのは、余力がないなかでも「そこで身体をうまく動かせた」からだ。最後1000mを2分39秒8で上がることは、三浦だからできたことだった。

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●「パリ五輪のメダルを目指す気持ちで」

 長門監督は「世界レベルの選手とのレース経験があまりにも少なかった」と反省するが、まだ大学2年生という点や、コロナ禍で海外遠征ができなかったことを考えれば、今回の結果は健闘と言っていい。
 今後は冬期の駅伝も活用して走力アップを図りつつ、3000m障害のレース経験を重ねていく。
「ヨーロッパに行くなど、色々なレースパターンを経験させることを考えています。どんなレース展開になっても、リズムを崩さない走りを身につけさせたい」
 三浦も「まだまだ実力不足」と今回の結果を受け止めている。「(8分)ひと桁前半の自己記録を持っていないと、余力を持つことができないと感じました。パリ五輪は3年後。(メダルを)目指すという気持ちで取り組んでいきます」
 メダルを取るには力不足だったが、メダルに近い位置で走ったことで、メダルを取るために不足していることが明確にわかった。10位以下だったら、肌で感じられる部分が違っていたかもしれない。収穫は大きかった。
 ただ今回は、リオ五輪まで9連勝していたケニア勢が不調だった。複数メダル獲得が当たり前だったが、銅メダルのB・キゲン(ケニア)1人しか入賞しなかったのだ。今回金メダルのS・エルバッカリのモロッコや、銀メダルのL・ギルマのエチオピアなど、アフリカ勢はやはり強い。
 だが三浦も、我々の予想を覆す成長を見せてきた。「底が見えない」と言われる三浦が、3年間の成長でアフリカ勢にどう食い込んで行けるか。パリ五輪のメダルを期待するのもいいが、三浦の成長するプロセスにこそ注目したい。壁に当たることもあるかもしれないが、そこも含めて見続けることが、スポーツの本当の面白さを理解することになる。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト


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