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【日本選手権10000mレビュー①廣中璃梨佳】

東京五輪7位入賞の廣中が危なげない勝利で世界陸上代表内定
7月のオレゴンが期待できる今季のプロセス

 東京五輪女子10000m7位入賞の廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ・21)が日本選手権10000m(5月7日。東京国立競技場)に31分30秒34で優勝。7月の世界陸上オレゴン代表に内定した。1カ月前には貧血で出場が危ぶまれる状況だったが、レースはまったく危なげない内容だった。冬期練習も抑えめで行ったというが、廣中の成長は確実に進んでいる。

●レース内容にステップアップの期待

 廣中が勝負に出たのは7000mからだった。スタートから先頭を走り続けた五島莉乃(資生堂・24)の前に出ると、78秒だった1周(400m)のペースを75秒に上げた。五島を引き離し東京五輪5000m代表だった萩谷楓(エディオン・21)とのマッチレースに持ち込むと、7600mでは帽子をフィールドに脱ぎ捨てた。
 帽子は廣中が中学時代に雨よけのために被ったのがきっかけで、その後はゲン担ぎの意味合いで被り続けて来た。高橋尚子さんの取材に「帽子を被ると視界が狭まるというか、前だけを見て集中できると感じて、そこから毎回被るようにしています」と答えている。
 だが東京五輪5000m決勝(14分52秒84の日本新で9位)では3000m付近で、今回と同じように帽子をフィールドに脱ぎ捨てていた。その理由は昨年6月の日本選手権5000mにあった。優勝することはできたが最後は暑さに影響を受け、上体が大きく揺れる厳しい走りになった。帽子を被ることで熱がこもる。その点を考慮して東京五輪の勝負どころでは帽子を脱ぎ捨て、「ここから切り替えたい」と自身の気持ちを切り換える意味も込めた。
 今回の日本選手権も東京五輪と同じ意味で、7600mで帽子を脱ぎ捨てたのだ。「ここから確実に決めたい思いで帽子を取りました」。
 しかし同学年の萩谷も負けていない。8400mからは廣中の前を走っていた。昨年の日本選手権5000mでは廣中がロングスパートで勝っているが、昨年5月のREADY STEADY TOKYOでは萩谷が1秒02差で競り勝っている。
 その萩谷を相手に廣中は、残り1周の9600m地点で勝負に出てバックストレートで萩谷を引き離していった。
 ラスト1周は66秒、最後の1000mが2分58秒4だった。どちらも東京五輪で7位入賞したときとほぼ同じタイムである。しかし今大会は国内のトラック第1戦。詳しくは後述するが、冬期練習がゆったりした内容だったことも考えると、廣中の終盤のスピードには価値があった。

●冬期練習も追い込まなかった廣中

 レース後の廣中のコメントからは、肩の力を抜いて日本選手権に臨んでいたことが伝わってきた。
「優勝より確実に(代表が内定する)3位以内に入ってオレゴンを決めたいと思っていました。前半は余裕を持って走って後半につなげよう、という思いで走っていましたね。(萩谷と)2人になってからは、持ち味の1つであるスピードを生かしてラスト勝負をしたい、と思って走っていました」
 前回の日本選手権は自身2回目の10000mで、挑戦者的な立場で優勝をつかみとり、歓喜の五輪代表入りを決めた。今回は五輪入賞者として、タイトルを守って当然という立場になっていた。だが廣中は「2連覇は考えずに臨めた」という。
「貧血で1カ月前は日本選手権に出られるかわからない、という状況だったんです。約2週間で最後の調整をすることになりましたが、できることを1個1個やってここに合わせてきました。万全な状態だったら2連覇しようと考えたかもしれませんし、プレッシャーも感じたかもしれません。万全ではなかったので、監督とも『3位以内を目標としよう』と話し合って走った結果が2連覇になりました」
 4月の貧血もあったが、高橋昌彦監督によれば冬期練習自体、五輪前と同じようには追い込まなかった。
「廣中はもともと詰め込んだ練習ができるタイプではありませんし、五輪翌年も冬場にガンガンやったらパリ五輪まで持ちません。日本選手権も、勝ち続ける使命感みたいなものを持つのはよくないと考えました」
 トレーニングは中期的にも短期的にも、追い込んでいなかった。その流れでも日本選手権を危なげなく勝ちきることができる。21歳で身体的に成長中であるだけなく、東京五輪で世界と戦ったことで気持ちに余裕も生まれているのだろう。競技者全体としての成長が日本選手権に現れた。

●世界陸上で今シーズンのピークを

 昨年の五輪入賞は10000m3レース目で達成した。世界的に見てもかなり珍しいケースで、廣中や関係者の予想を上回る成績だった。今後の目標設定が難しくなるケースだが、冬期練習がそうだったように、廣中は地に足を付けた考え方をしている。
「(世界陸上に対して)気負いはまったくありません。東京五輪のように自分らしい走りをすることと、パリ五輪へのステップとして、日本国内ではできない揉まれる展開の走りをすること。その結果で目標に近づけたら」
 高橋監督も3月の時点で「5月から調子を上げるともちません」と話していた。
「日本選手権10000mでは世界陸上出場権を確保する。6月の日本選手権5000mで少し調子を上げて、7月の世界陸上にそれよりも上げていく」
 指導者がそう考えていたから選手も4月の貧血に慌てず、日本選手権10000mでは想定以上の優勝という結果で世界陸上代表権を得た。冬期練習は全開ではなかったし、東京五輪以上の成績を残す使命感も持ってはいない。
 だが廣中は東京五輪の経験で、世界トップレベルで戦うことに楽しさを感じている。
「またあの舞台に戻りたい、あの選手たちと走りたい、という気持ちになりました。決勝レースで、強い選手と思われながら走ってみたい」
 前述したように練習は抑えめで行っても、メンタル面などトレーニング以外の部分も含めた廣中の成長は続いている。仮に世界陸上が東京五輪より速いペースになっても、ラスト1000mや最後の1周を東京五輪と同じタイムでカバーできる。その可能性を感じさせた日本選手権10000mだった。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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