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【東京五輪陸上競技1日目(7月30日)】 女子5000mで積極レースを展開して予選を突破した廣中 0.38秒差で決勝進出を逃すも世界を相手にラスト勝負を挑んだ田中

 東京五輪陸上競技1日目(7月30日)夜に行われた女子5000m予選の日本勢は、予選突破者こそ1組9位の廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)だけだったが、2組6位の田中希実(豊田自動織機TC)も予選通過に0.38秒と迫った。2人ともそれぞれの特徴を生かし、世界と戦ったと言えるレース内容だった。

●日本選手権の反省を生かした廣中

 女子5000m1組の廣中は、スローな展開になったら自分が前に出ると決めていた。
「初めてのオリンピック。怖いもの知らずで、自分らしく思い切り走ろう、と決めていました」
 19年の世界陸上ドーハ大会1500m&10000m2冠のS・ハッサン(オランダ)ら、世界のトップクラスの選手を従えて先頭を走った。不安を感じたり極度に緊張したりしながら走ると、余分な力が入って失速につながることが多い。だが今の廣中にその心配は不要だった。
 廣中の持ち味は最初から自分のリズムで走りきること。中学生の頃からすべての大会で区間賞を続けている駅伝では、その走りが威力を発揮してきた。だが自分と同等以上のタイムを持った選手とのレースでは、その走りをするのは簡単なことではない。
 実際、昨年12月の日本選手権では田中を意識したのか、スタートから前に出ることができなかった。2000m通過は6分15秒とスローペースになり、2200mから前に出たがラスト勝負で田中に敗れた。「あのときは自分で行く勇気を持てませんでした」
 そこを改善できたのが今年5月の日本選手権10000mだ。10000mを走るのは2回目で経験が少なかったが、自分で前に出てペースを作り、標準記録突破と優勝を同時に達成した。
 先に五輪代表を内定させると、6月の日本選手権5000mでは、10000m代表に内定していた新谷仁美(積水化学)、5000mで内定済みの田中とのレースを制して2種目代表入りを決めた。暑さもあってハイペースにはできなかったが、1600m付近から先頭に立ち、新谷、田中、萩谷を引き離した。
 そして廣中は舞台がオリンピックでも、相手が世界のトップ選手でも、前に出ることを躊躇わなかった。1000mを3分00秒9、2000mを6分00秒0、3000mを9分01秒8と予定通りのペースを刻んだ。3000m手前でY・ケン(トルコ)に先頭を譲ったが、ずるずる後退するようなことはなかった。残り2周から徐々に引き離され始め、着順で通過できる5位以内には入れなかったが、残り1000mを2分53秒3でカバー。2000mまでがスローな展開だった昨年12月の日本選手権とほぼ同じタイムで上がって見せた。
 14分55秒87と自己記録を3.50秒更新。「自己新をこの中で出せたことは自信になりますが、もう一段階ギアを上げたかった」と課題を強調したが、プラスで予選を通過できた一番の要因は、廣中が自分の特徴を発揮できたことに他ならない。持ち味を発揮することで、世界で戦うことに成功したレースだった。

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●世界とのラスト勝負に挑んだ田中

 その廣中が2組が始まる前に「精一杯応援しながら、希実先輩がどういうレースをするのか見たい」とコメントした。そして田中は、世界を相手にラスト勝負をすることを選択した。
 2000m通過が6分07秒と結果的にスローペースになったが、「春から(多くのレースに出場して)やってきたことを表現するため、ハイペースでもスローでも、ラスト勝負をやる」(父親の田中健智コーチ)と決めていた。
 実際に田中は、残り2周で先頭に並びかけた。しかしスパートすることはできず、残り1周の勝負には加わったが、バックストレートで5人に引き離された。14分59秒93と自己新を出したが6位。着順で通過できる5位に入れず、プラス通過の5番目、1組10位選手の記録に0.38秒届かなかった。
「すごく悔しいです。15分を切れば通過する可能性は高いと思っていましたから。世界のレベルが上がっていました」と田中は無念の表情で話した。
 残り2周が1つのポイントだった。今回は2分13秒と、昨年12月の日本選手権で廣中と競り合ったときより3秒も速かった。日本レベルで考えればすごいタイムだが、田中が目指していたのは2分10秒だった。それができれば5人の集団に入ってフィニッシュできた。
 4月の織田記念と7月のホクレンDistance Challenge北見大会の5000mで、残り2周のスパートを試したがどちらも失敗している。それで残り2周での仕掛けができなかったと、田中コーチは見ている。
「ラスト2周から行ったら、最後にペースダウンしたかもしれませんが、タイムで通過できた可能性はあります」
 0.38秒差でプラスでの通過を逃したのは、田中が1組10位選手のタイムを把握できていなかったことが響いたかもしれない。田中は2組がスローペースになったことで、着順で通過することに集中していた。気を緩めたわけではないが、プラス通過の可能性があるとわかっていれば、最後の踏ん張りが違った可能性はある。

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●世界との戦い方の幅を広げた大会に

 田中の挑戦は実らなかったが、瞬発的なスピードに勝る外国勢に対し、ラスト勝負を挑んだこと自体に価値がある。これまでの日本選手は、世界大会でラスト勝負をしようという発想自体を持てなかった。
 今年の田中は、昨年のうちに5000m代表を決めていたことを活用し、毎週のようにレースに出場した。ベストコンディションで臨むことは難しく、自己記録は更新できないが、1500mのワールドランキングを上げるためのポイント獲得と、多くのレースパターンを試してきた。それでも7月には3000mと1500mで自身の日本記録を更新している。
 従来の自己記録は19年世界陸上ドーハの決勝でマークした15分00秒01だが、そのときのラスト1000mは2分55秒79だった。今回は2分48秒0である。
「ラストの上がりだけで15分00秒を切れたことは収穫です。そのラストで、どこまで通用するか、知ることができたのはよかったと思います」(田中)
 廣中が前半から積極的に走るので、田中はラスト勝負のイメージが強い。だが田中も3000mや1500mで日本記録を出したときなど、最初から先頭に立ったり独走したりするレースも多い。今回の結果を受けて、田中が今後どんなレースパターンで世界に戦いを挑むのか、注目していきたい部分だ。
 ラスト勝負も可能なことを田中が実証したことで、日本の女子長距離の世界への戦い方の幅が広がった大会になった。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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