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【東京五輪陸上競技6日目(8月4日)】

決勝進出と日本人初の3分台突入の歴史的なレース!
女子1500m準決勝で田中親子が考えていたこととは?

 東京五輪陸上競技第6日が8月4日、国立競技場で行われ、女子1500mに日本選手として初めて出場した田中希実(豊田自動織機TC)が快挙を達成した。準決勝1組で5位と、着順で決勝に進出した。タイムも3分59秒19と予選で出した4分02秒33の日本記録を3秒以上も更新し、日本人初の3分台を達成した。

●会心のレース展開が可能になったのは?

 日本の中距離の歴史を塗り替えたレースは、すべてが田中の“望み”通りに展開することで実現した。
 予選と同様に1周目で自分のリズムに持ち込みたかった。田中はスタートポジションがインレーンだった。外国勢がかなり速いスピードでダッシュしたが、「1レーンに隙間があった」ことで、100m付近でトップに立つことができた。
 その結果、以下のようなペースでレースを展開できた。
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  準決勝          予選
400m 1分02秒8(62秒8) 1分05秒7(65秒7)
800m 2分09秒1(66秒3) 2分11秒4(65秒7)
1100m 2分56秒6      3分00秒1
1200m 3分12秒0(62秒9) 3分15秒6(64秒2)
1500m 3分59秒19(62秒6) 4分02秒33(62秒2)
※大会主催者が公式発表したデータ
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 1周目の62秒8は普通ならオーバーペースになるところだが、今五輪の田中はそうならなかった。ある程度のスピードを作れば、2周目は外国勢に前に出られてもいいと考えていたが、「他の選手を休ませない方が決勝に残る可能性が高くなる」と判断。「ラストに向けて余力を残しながら、できるだけペースを落とさないようにしましたた」。それが2周目の66秒3というタイムになった。
 800 mを過ぎて外国勢に前に出られ、4~5番手に後退した。そこは想定通りで、いっぱいの状態になって後退したわけではない。外国勢の力を利用してペースを維持しようとした。結果的に3周目が62秒9と速くなり、ラスト1周がペースアップできなかったが、62秒台を維持することで3分59秒19という夢の記録でフィニッシュした。
「自分ができるかどうかは別として、4分を切ることができたら決勝に残れそうだと考えていました。理想通りのタイムで決勝に進むことができたので、すごくうれしいです」
 夢のような記録と書いたのは、女子1500mで日本人が3分台を出す日が2021年の今年、実現するとは誰も思っていなかったからだ。田中と田中健智コーチの親子を除いては。

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●潜在能力を引き出せた経緯とは?

 田中コーチは3分台を出すことができた理由を次のように話す。
「1レーンが空いて先頭に立てたことで、たまたまかもしれませんが、思い描いたレース展開に持ち込めたことがよかったですね」
 大事を成し遂げた選手(指導者)は運の良さを口にするが、やれるだけのことをやったからこそ、運が目の前に来たときに自らの手でつかみとることができる。
 実際に3分台という数字を、田中コーチは少し前から口にしていた。
「ホクレンDistance Challenge千歳大会で日本記録(4分04秒08)を出したとき、800 m以降は独走になり、ペースを維持することしかできませんでした。日本の女子選手が1人で追い込むのはあれが限界だったように思います。しかし周りに強い選手がいて一緒に走ることができたら、潜在能力を引き出せると感じました。それができたのがオリンピックの予選(の後半)です。そこで引き出し方を覚えたのでしょう。ここが限界という先入観を完全に取っ払うことができた。準決勝では未知の力を引き出してもらえる、というワクワク感もありました」
 そうした潜在能力は、毎週のようにレースに出場することで蓄積されていた。国内大会では勝ち続けることはできるが、昨シーズンのように日本新(1500mと3000m)を出すことはできなかった。それが7月に入って1500mで1秒19、3000mでは0秒51日本記録を短縮し、少し手応えを感じられた。
 そしてオリンピックのために東京に入ってから、明確に練習量を抑えて、よく言うところの調整を初めて行った。
 田中コーチは「コーチとしてなのか、父親としてなのか線が引けないのですが、一番はホッとしました」と心境を明かす。
「去年の冬から6月まで、会心のレースも練習もできませんでした。ハマらないな、とずっと感じていましたが、7月のホクレンの頃からだんだん、心と体、色々なバランスがとれるようになってきて結果に結びつきました。2人とも苦しかった部分がたくさんありましたが、やってきたことは間違いではなかったと思うことができたんです」
 選手とコーチとしても、娘と父親としても、8月5日は最高の夜となった。

●国際大会ではゾーンに入る

 最初の1周が62秒8という速さでもオーバーペースにならず、レース後半も外国勢と走ることで潜在能力を引き出せた。トレーニングと試合の連戦で力を蓄えたからできたことだが、東京五輪という舞台で「ゾーン(に入った)かな」という状況に自身を置くことができたことも大きかった。
「いつもよりレースを俯瞰することができて、集中力が高まった結果かもしれません」と田中は振り返る。
「ラストの直線で前の選手が止まっているのがわかりました。自分も止まっていましたが、最後まで抜く努力はしよう、と。0点何秒かは詰められたのが、私としてはすごくよかった。世界の舞台になると自分でも気持ちが悪いくらいに気持ちが上がるというか、人格が変わったんじゃないか、と思えるところがあります」
 田中コーチも、世界大会での田中の変化を「雑念が消えて無の境地になれる」と感じている。
「国内だとライバルとどう走るかに気を遣いすぎたり、日本記録を作って失敗できないと考えたり、受け身のレースになることがありますが、国際大会は完全なチャレンジャーになれる。普段は試合前も反論が多く、とがった言葉使いになりますが、準決勝の前は表情が穏やかでした。ワクワク感も大きくて、アップから召集所での行動がすべて、テキパキしていた。いつもはぎりぎりまでバタバタしているのですが。早くレースをして、自分の力を試してみたくて仕方なかったのかもしれません」
 トレーニングと試合を組み合わせながらのピーキング、大会期間に入っての体とメンタル面のコンディション、すべてが好転した結果、歴史的な3分台が誕生した。
 決勝は再びではるが、これまでとは比べられないような未知の世界だ。「どんなレースになるかわからない」と、田中は準決勝に話している。
「(ラストに強い)ハッサン選手がいるからスローになると思いますが、それでも今日のような自分らしいレースをするのも面白いかな、と思います。しかし父と一緒にラストにこだわってやってきたので、ラスト1周のヨーイドンをやってみたい気持ちもあります。父と相談して決めたいと思います」
 田中コーチは決勝をどう走るか、という質問に次のように答えた。
「プランはなしで行きます。予選や準決勝と違って通過することを意識しなくていいので、ここまで来たら、世界はどういう走りをするんだろう、ということを体感させたい。自分で動かすことよりも、世界のレースに参加することを重視します」
 5000mの予選と1500mの予選と準決勝、6日間で自己新レースを3本も走ってきた。「トレーナーさんの話では、東京に入ってから一番(筋肉などが)硬くなっています。日本人が経験していないスピードで走っているのですから、節々に来ていて当然です。でも心の部分はとても晴れやかです」
 オリンピック4本目の1500m決勝という未知のレースを、田中親子が二人三脚で走る。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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