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【東京五輪陸上競技5日目(8月3日)注目選手】

男子200mのサニブラウン、飯塚、山下は結果次第でリレーメンバー入りも
山下は三段跳の父と兄に続くオリンピック代表に

 大会5日目(8月3日)にはいよいよ男子200 mが午前中に予選、夜に準決勝が行われる。日本からはサニブラウン・アブデル・ハキーム(タンブルウィードTC)、山下潤(ANA)、飯塚翔太(ミズノ)の3人がエントリー。サニブラウンは17年世界陸上ロンドンで、この種目で7位に入賞している。飯塚はロンドン五輪から3大会連続出場。山下は父と兄が三段跳のオリンピアンだが、異なる種目で世界に挑戦する。
 100 mの日本勢は3人全員が予選落ちした。200 mで好成績を残せば4×100 mリレーのメンバー入りもある。

●サニブラウンと飯塚の技術的な課題は?

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 日本選手権を欠場したとはいえ、一番の期待はサニブラウンだ。17年世界陸上ロンドンでは7位に入賞。19年には自己記録を20秒08(日本歴代2位)まで伸ばしている。
 だが、19秒台は時間の問題と言われながら、19年世界陸上(100 m準決勝と4×100 mR4走で銅メダル)以後、故障もあって試合に出ることができなかった。
 一昨年にプロ転向していたが、昨年7月にフロリダ大からタンブルウィードTCにチームを変えて再スタートした。同チームのレイナ・レイダー氏からは、世界選手権200 mで7位に入賞した17年も指導を受けていた。その頃は「綺麗に走っていた」(サニブラウン)が、フロリダ大進学後は「パワーは上がったけどバランスが崩れ、重心も下がった走り」になっていた。
「その両方の走りを掛け合わせたら、(フロリダ大で)良いフォームで走れます。パワフルに走ることを覚えたので、その中で綺麗に走ることを重点的にやっていきたい」
 東京五輪の目標は「金メダル」と一貫して言い続けてきたが、今季のレース出場は100 mだけで、シーズンベストも10秒29(+0.2。日本選手権6位)と本調子にはほど遠い。日本選手権後はタンブルウィードTCに戻り、レイダーコーチのもとで練習している。最後の1カ月でどこまで復調しているかが、カギをにぎる。
 飯塚も決勝進出が長年の悲願となっている。意外なことに、世界陸上では準決勝に進出しているが、五輪では予選を突破したことがない。
「オリンピックは特別な舞台。過去2回、個人では惨敗しているので東京五輪でリベンジしたい。予選を通過して準決勝、そして決勝へと進みたい」
 現在の課題は前半のスピードだ。豊田裕浩コーチは「今年は100 m通過が10秒6前後かかっています。それを10秒4~5くらいに上げたい。後半は飯塚君の持ち味なので、前半で上げられれば高いスピードを維持できる」と話している。
 リオ五輪では4×100 mリレーの2走を務め、大らかな人柄でチームを牽引。トラック種目過去最高順位の銀メダルと結果を出した。今年は日本選手権の結果でメンバー入りは難しくなったが、「200 mの結果次第でリレーを走ることもできる」と意欲的だ。
 前半の走りとともに、飯塚がリレーメンバーに入るかどうかも注目される。

●父、兄とは違う種目を選んだ理由は?

 山下の父・訓史さんは三段跳で17m15の日本記録を持ち、オリンピックには88年ソウル、92年バルセロナと出場。ソウルでは決勝に進んで12位に入っている。兄の山下航平(ANA)も三段跳でリオ五輪に出場し、16m85の日本歴代7位の記録を持つ。
 どうして山下だけが200 mなのか。
「高校で三段跳を始めようと思っていました。そのために中学3年間は短距離をやっておこうと。父がそう言ったのだと思います。三段跳でも高3で自己新(14m92)を出しましたが、技術が未熟だったんでしょう。のびしろが感じられなかったんです。それに対して200 mはどんどん結果が出ていました。大学では短距離に絞ることにしました」
 三段跳は高校3年時のインターハイで予選落ちしたのに対し、200 mは高校2年時のユース五輪で6位、大学1年時のU20世界陸上で8位に入った。
 一方、兄の航平は、高校3年時に国体で全国優勝していた。大学4年時の16年にはリオ五輪に出場。18、19年と日本選手権を連覇し、18年にはアジア大会で4位。昨年からケガが多くなって東京五輪代表入りは逃したが、日本の三段跳を担う選手の1人である。
 種目が違ってきたのは、航平は高校時代に訓史さんの指導を週末に受けられたが、潤は訓史さんの勤務の都合で受けられなかったことが影響したかもしれない。
 山下が本気で三段跳に取り組んでいたらどうだったのか。訓史さんは「潤は背も高いし体も細い」と三段跳向きであることを認めるが、「200 mでも評価は高いので、どちらの適性が高いかは、わかりません」と明言は避けた。
 実際、山下は200 mで日本代表レベルに成長した。ユニバーシアードでは大学2年の17年に8位、4年時の19年には4位。19年の世界陸上ドーハ大会も経験済みだ。
 そして東京五輪でも代表入りし、父、兄に続いてオリンピアンとなった。
 山下潤自身は種目は違っても、兄の背中を追っていた、と言う。
「兄は大学4年のときに大きく飛躍してリオ五輪代表まで成長しました。それに対して僕は、一発勝負を賭けて成功したことがない。日本選手権も兄のように勝っていません。兄の背中を見て走ってきて、ようやく追いついて来ましたが、まだ追い抜けてはいません」
 兄の航平は、弟の成長を認めざるを得ないという。
「日本を代表するスプリンターに成長したところは尊敬できます。高校から国際大会に出場して、シニアになっても世界陸上、オリンピックと代表を続けています。世界を舞台に走り続けるということが、一流の証だと思います」
 山下が予選を突破するには、過去の五輪や世界陸上を見ると、自己記録(20秒40)を更新するくらいでないと難しい。その意味では、自己新を出すために一発勝負を賭けて走るのが、山下の東京五輪ということになる。

●世界に通用する前半のスピード

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 山下の特徴は前半のスピードが速く、100 m通過は10秒4前後(手元の資料で最速は19年ゴールデングランプリでの10秒40)だ。さすがにメダリストクラスはもっと速いが、準決勝レベルの選手となら遜色ない。
「外国人選手は自分のことなど眼中にないでしょう。油断をしているかもしれません。前半でしっかりリードして、後半も力まずにリラックスして走れば、予選は通過できます」
 訓史さんは、高校時代に三段跳をやっていたことが200 mに生きていると指摘する。
「遠心力を使って、内傾して地面を捉えるところは、直線よりも地面に圧力を加えないといけない。三段跳選手はバウンディング(大きくバウンドして走るメニュー)が得意ですから、コーナリングに生きているのかもしれません」
 山下自身は「200 mの後半の方がバウンディングが生きる、失速を抑えられると思っています」と、別の見方をしている。
 おそらく山下は後半失速する課題を常に考えているので、そのために何が役立つかを意識している。それに対して訓史さんは、前半の走りが良いので、何がそこにつながったのかを考えたのだろう。
 親子で意見が分かれることもあるが、国際大会での強さに関しては、父親譲りと言えるかもしれない。その点は訓史さんも認めている。
「潤は国際大会の方が力を発揮している。今年の日本選手権は走りが硬かったですけど、日本人が相手だと負けちゃいけない、という心理が働いてしまうのでしょう。オリンピックの方が楽に走れると思います。まずは自己新で走ってほしい」
 山下4×100 mリレーでは、現時点では控え選手としてメンバーをサポートしていくポジションだという。だが200 mの前半で見せる走りは、メンバーに何かあったとき、1走や3走で貢献できる。日本の男子短距離はリレーで金メダルを目標にし、個人のレベルも上げてきた。リオ五輪以後は、個人のレベルを上げることでチーム力を向上させている。その流れに自身も乗りたいという。
「リレーは金メダルを目標に、高い意識で競技に取り組んでいます。自分も200 mで決勝進出など、高い目標を持ってやっていきたいですし、父もオリンピックと世界陸上で決勝に行った選手。いずれは自分も、同じくらいになりたい」
 父のような世界レベルの選手をイメージして、兄のように一発勝負に成功する。それができれば山下も、世界の24人(準決勝)には入ることができる。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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