見出し画像

流産ともいえない流産になった時の話⑦

これは誰に伝えるでもない、ただの覚え書きだ。
私が勝手に喜んで、勝手に落ち込んだ2週間を忘れたくないがために書く文章だ。
人によってはこれを読むことで落ち込んだり気分が悪くなったりするかもしれないので、気をつけてほしい。自己防衛は大事。

12月9日、10時45分

気が気じゃない1日を過ごして、夜は不安で眠れないかなと思っていたけど、疲れていたのかぐっすり眠ってしまった。

12月9日。診察の予約は10時で、病院に着いたのは9時50分だった。

受付で、前日に時間外診療を受けた話と妊娠検査薬で陽性が出た話をしたら、検尿の説明を受けた。
そのままトイレに行ってみると、相変わらず鮮血は止まっていなかった。

渡された予約番号は310番で、診察室前のモニターには今304番の人が診察中だと表示されていた。

当時住んでいた地域は子どもが多い町だった。
待合室には第2子、第3子を妊娠したお母さんや、家族に連れられた小さな子どもがたくさんいて、預かり保育のスペースからは子どもが体操をする元気な声が聞こえていた。

予約番号305番の妊婦さんは可愛らしい女の子を連れていて、一緒に来ていたお母さんらしき人と「木曜日の出産予定日を前にして子どもが大きく育ちすぎた」なんて話をしていた。

「310番の方いらっしゃいますか」
処置室から出てきた看護師さんが、診察前の確認に来た。
他の妊婦さんから離れたところに誘導されて、出血の状態や腹痛の有無を確認した。

昨日と違って待ち時間はあっという間だった。
賑やかな方が余計なことを考えないで済むのかもしれない。

そして10時45分、診察室に呼ばれてドアを開けた途端、若い女医さんと看護師さんを包む空気が変わったことが分かった。

荷物を置いて、私が椅子に座ったことを確認した先生が話し始める。

「さっき出してもらった検尿で見たらね、陰性でした」

陰性。
言葉の響きと意味が繋がらなかった。

「検査薬で陽性が出たということで、一度は妊娠の形に持っていけたんだと思う。排卵予定日から考えると今が6週目ってことになるのね。それで陽性が出た時がどういう状態だったかっていうと、着床して、ホルモン値がグンと一気に上がって、そのまま継続できれば高いままを維持できるのね。けど継続できなかった場合はホルモン値がシュンと下がってしまうの。あなたが見たのはそのホルモン値が上がった状態で、今日見たのは下がった状態。つまり、化学的流産っていうことになると思います」

昨日の先生と一緒で、しっかり目を見て話をしてくれる先生だった。一言一言、言い聞かせるように。
でも私は、言われていることが文章となって頭の中を流れていくだけで、それを追って覚えるのに必死だった。

「前回相談に来てくれた時に排卵検査薬を使ってるっていってたよね。やり方としては合ってたんだと思う。今回みたいな、こういうことがよくあるかっていえば、まあ、あるのね。でも何度も続くってことはあんまりない。だから、今回だめだったから何かの検査をするっていうのもお金がかかるし、それよりも、またすぐできるとはいわないけどタイミングを取ってみて、それで次の赤ちゃんを待った方がいいよ」

話の途中で何度も大丈夫かと聞かれた。大丈夫だと答えた。
なのに、差し出されたティッシュの箱で、自分が泣いていたことに気がついた。

そして、尿検査で陰性が出た以上、検査をしても昨日と同じような所見しか見られないと思うからやめておこうと言われて、そうですかと答えた。

診察室に入ってから、時間にすると10分もかからなかったと思う。

ありがとうございましたと診察室を出た途端、子どもの泣き声や、笑い声や、妊婦さんと看護師さんとの話し声なんかが一気に押し寄せてきた。

(ああ、だめだったんだな)

また泣きそうになって、奥歯を噛み締めた。

会計は、昨日の時間外診療分と合わせて4000円ちょっとだった。
妊娠したら初診で1万円くらいかかるという話を聞いていたから拍子抜けしたけど、そもそも妊娠していなかったならそんなものだろうと思い直した。

それから夫と両親と、検査薬で陽性が出たことを伝えていた友人に結果を報告した。声を出したら震えそうだったから、文章にした。
父は体調を心配してくれて、母は励ましてくれた。1人の友人は気遣ってくれて、もう1人の友人は年末に有休を取るから飲みに行こうと誘ってくれた。夫からはただ一言「残念」と返事がきた。

そのまま真っ直ぐ家に帰る気もせず、電車に乗って隣町まで行き、チョコレートケーキとウイスキーとお刺身を買った。
全部、妊娠中は我慢しないとね、と話していたものだ。

買い物をしている間、頭に浮かんでいたのは「化学流産は医学的には流産じゃない」という言葉だった。

私は2週間、妊娠検査薬での陽性という結果に踊らされて、お母さんになれた気分でいただけだった。
あんなに気持ち悪かったつわりも、もしかしたら気持ちの問題だったのかもしれない。

病院を出てから電車に乗って、ケーキ屋さんやスーパーに寄って、また電車に乗って家に帰った。
その間にすれ違った誰も、私が今日化学流産をしたことを知らない。それはとても不思議な気分だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?