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「また今度」と考えることをやめよう

【活動114日目・待機生活27日目】
*配属先での活動はできていないけれど、今は待つのも活動の一つということで表記はそのままでカウントすることにします。

次に時間ができたらあそこに行こう、とか
また次の機会にあのお店に行こう、とか
来週でもいいかな、と先に伸ばしたりしてきた頃がたくさんある。
普通に日本で生活しているなら、これでも良かったのかもしれない。
でも、2年という期限つきで日本の外に出て生活を送って、当たり前に2年が過ぎると勝手に信じていたところに、未知の感染症が世界中に広がって帰国しなければならなくなったとき、「やっておけばよかった」と思ったことがたくさんあったことに気づいた。
「また今度」と近い将来に先延ばしにしていたことは、いつになるかわからない少し遠い将来のことになってしまった。その「また今度」が現れる保証もない。
一時帰国、とはいえ、どのくらいの一時になるのかはわからないのだし。

私は、つくづくこの宙ぶらりんな時期が苦手なんだな、と思う。
「帰るのか」「帰らないのか」
帰ると決まった後は
「いつ帰るのか」
そしてそのまた後は
「どのくらいの期間になるのか」そして「戻ってこられるのか、こられないのか」
この”あいだ”の時期になると私は不安になる。
こうしてnoteに文章を書き残す機会が増えたのは、単に時間があるからじゃなくて、不安な気持ちを表現することで整理したいからなのだと思う。
整理の仕方は人それぞれだと思うけれど、私は「文字に起こす」という作業をすることで不安な時期を乗り切ってくることが多かった気がする。

だから、こうして毎日のように何かを書いているということで、
「あぁ、やっぱり私不安なんだな」と実感することができている。
だいたい私が何かを書いているときは頭が忙しいときで、アウトプットが必要なとき。
あとから見直して、「あの時は大変だったんだな」といい思い出になればいい。

気持ちも表現することを「また今度」にすると、新鮮さが無くなって、多分そのときには違うものになっている。だから、書きたいと思ったときにちゃんと残して鮮度の良い状態のまま表現した方がきっと面白い。

スペイン語の「Nos vemos」という表現が好きだなと思う。
Nos=私たち、vemos=見る、会う
「会いましょう」という意味。日本語で言う「じゃあね」や「またね」と同じタイミングで使うことが多い。
「また」と言う言葉がどこにも入っていないけど、でも「また会いたい」と言う気持ちが含まれている感じがする。
それは、Nos(私たち)が入っているからなのかもしれない。相手が言うのに、言葉にちゃんと自分を含めてくれていて、次に会うことが前提として使われる言葉。
同じ意味で使われるけれど、英語のSee you. ともちょっと違う感じがする。

ペルーを離れる日、調整員さんに「行ってきます」と言う言葉が自然に出たのは、私にNos vemosの気持ちがあったからだと思う。
帰ってくるときには、スペイン語も今よりパワーアップして、
必要だと思ったことは「また今度」と先延ばしにしないで、
日本からできることは連絡をしながら一緒にやれることはやろう。

今日、配属先の同僚とメッセージのやりとりをしていて、
「私たち、一緒にやることがたくさんあるわよ」と言ってくれた。
このあと、子どもたちがセンターに戻ってきた時、やらなくては行けないことがたくさんある。直接関われなくても、後方支援的に関われることはきっとある。
「また今度」と先延ばしにしていたことを、戻ったときにすぐに始められるように準備をすることにしよう。

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