図体の大きさと身軽さ

オリエンタルラジオ(中田・藤森)が昨年末で吉本を「卒業」したことが話題になっていた。

中田敦彦のyoutube大学は最近まで見たことがなかったが、その圧倒的なレベルの高さに驚いた。アウトプットの教科書だ。ホワイトボードに要点が簡潔に書いてあり、45分、ノンストップで話続ける。無駄がない。
「公明党・創価学会」を見て、衝撃を受けた。あふれんばかりの伝えたい内容、的確な比喩・ワーディング (南無阿弥陀仏/南無妙法蓮華経とは、I believe ...ということ)、ツキまくる本質、 しかも絶妙なテーマなのにバランスが取れている。プロだ。チャンネル登録者数300万人に迷わず一人加わった。

既に言い古され過ぎてしまい言うのも恥ずかしいが、既存の組織・制度に対し、強烈な個性が挑戦する時代だ。別の動画で、彼は、自分の原体験を大学時代の学園祭での漫才だと言っていた。そのとき得も言われぬ感覚を得たそうだ。吉本がなくても、彼らは生きていける。個が強くなる時代。自分で考えられない人は必要なくなってしまう。何を面白いと思うか。何に注力をするか

人類がこれまで時間をかけて作ってきた様々なシステムが、少なくない強烈な個人たちから刃を突き付けられている。この構造自体はもしかしたら今までのすべての時代に共通してきたことかもしれないが、パワーを手に入れる個人の数が技術によって今は多いはずだ。以前は、個別の科学技術か宗教・芸術くらいだったか。その場合、既存システム(政治・法律・大企業)は、経緯の塊で図体が重い。みずほはシステムの統合に19年も苦闘した。デジタル庁が成功するかの要諦は既存組織とのパワーバランスであり、彼らに言うことを聞かせることに多大なエネルギーを使う。フロムスクラッチであれば、クラウドであれば、もっと身軽だ。漸進的な変化とラディカルな変化の使い分けを機動的にできることが、競争力を左右する。これは、国でも企業でも個人でも同じだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?