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そろそろ“医療の正義”の話をしよう⑪

 医療現場で考える教育のこと(前編)


 私は15年ほど前から、大学病院や小豆畑病院(大学の地域医療研修)で、医学生や研修医の教育を行っています。最近、私の教育に対する考え方が大きく変わる経験をしました。契機は新型コロナ対応を、病院を挙げて行ってきたことでした。

 私は元来、「教育は未成熟な学生達が医師として通用する人間になるのを援助すること」と考えていました。従って、実際に役に立つ知識やテクニックを教えれば良いと思っていました。その考えをベースに教育を行うと、「これは君たち(学習者)のためだ。だから、僕達から学びたければ、僕達と一緒に仕事をして知識や技術を盗みなさい。聞きたいことがあれば、質問してくれれば答えるよ。」というのが、私が学習者に対する基本的態度であったと思います。
 しかし、新型コロナに対応している間に、教育に対する私の考えが変わっていくのを感じました。それはごく自然なことでした。この連載⑥で「私達が新型コロナに無我夢中に闘っている間に、いつの間にか社会の医療ニーズが大きく変わってしまったのではないのか?私達はその変化に対応できないのでないのか?」という不安を私が抱いたことをお話しました。
さらに連載⑦で、ある高等学校の卒業式に参列し、卒業生代表の学生の言葉を聞いて気持ちが楽になったエピソードを紹介しました。「今は出たとこ勝負で今の医療に邁進するしかない。僕たちが新しい医療ニーズに対応できなくても、15年もすればこの子達が新しい医療を造ってくれるだろう。後は、この子達に託せば良いではないか?ならば、教育とは私達が経験し学んだことを、適切に次の世代に伝えることではないのか。」と思うようになったのです。
 私達世代が懸命に解決しようと臨んだけれども、どうしても宿題として残してしまったもの、それを「申し分けないけど、君たちに託すしかないのだ。後は頼む。」という将来に対する私達の願いと希望が、教育ではないのかと考えるようになったのです。この時から私の中で「教育は私達(教育する側)のため」に変わったのだと思います。

 教育が彼ら(学習者)のためでなく私達(教育側)のためであるならば、私の教育に対する態度を変えなければいけません。私は、もっと教育に対して謙虚に、かつ意識的でなくてはいけないと思いました。そして、具体的に何をすれば良いのかを考え始めました。それについて、次の後編でお話ししたいと思います。


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