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そろそろ”医療の正義の話”をしよう④

在宅看取り礼賛への不安(後半)


 前稿では「在宅看取り件数が多い=優秀な在宅医療機関」という在宅医療に対する評価と宣伝が、日本社会に「在宅医療を始めたら入院すべきではない」という脅迫観念を作っているのでは?という不安を述べました。

 この考えにはしばしば以下のような批判を受けます。病院には病気治療のために入院するが、在宅医療はそもそも在宅看取り目的で医療を受ける人達がいる。従って、在宅医療では看取り件数の多い医療機関が優秀と言えるのだ。この批判に対して考え続けました。

そもそも、在宅医療は看取りを目的として生まれたのでしょうか?在宅医療が地域医療のニーズに応えて自然発生した現場(父の仕事でした)を私は見てきました。求められたのは「病院に通うことが困難な人達が生きる」ことを支える医療でした。その頃、看取り件数を誇る医療者はいませんでした。1994年に「在宅看取り加算(新設された寝たきり老人在宅総合診療料にターミナルケア加算等が新設」が制定され、少しずつ在宅看取りが進んでいったのだと思います。加算とは、医療者が進んで行わない医療を、政府が誘導するために作られます。そのことからも、在宅医療はその誕生段階において、看取りを主目的としてはいなかったと思います。

私は、在宅看取りを批判しているのではなく、現代社会に必須だと思っています。しかし、在宅看取りに加算を付けるのであれば、在宅から病院に適切な入院対応を行った在宅医療機関にも加算を付けるべきだと考えます。在宅医療から入院へ移行する場合、在宅医に大きな負担がかかることが知られています。在宅看取りに加算を付け、在宅からの入院対応には加算がない現状では、在宅医療では患者をできるだけ入院させないで看取る方に進んでしまうのは当然です。患者の容体が悪くなった時、在宅で看取る場合も、しかるべき急性期病院への入院手続きを行う場合にも、公平に在宅医が評価されるべきです。看取りと入院との関係において公平性が保たれない社会では、在宅患者の利益が守られているとは到底考えられません。

私は、現在の日本の医療は、「在宅医療」と「診療所・病院の医療」の2層構造で構成されていると思います。だからこそ、在宅から病院へ、病院から在宅へ、患者にとって適切な医療を受けられる方へ、いつでも当たり前に移動できる社会を造ること(2層構造を分断しないこと)が、患者に適切な医療を提供する上で必要最低条件だと考えます。

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