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そろそろ、“医療の正義”の話をしよう⑮“

医療の正義”とは何なのだろう?

 この連載は“医療の正義”というテーマで一年間続けてきました。今回が最終回です。内容を振り返りました。新型コロナが、私達が目指す医療を変えてしまったこと。医師を目指す若者の思考が変わったことに私がついていけず、医療教育とは何なのか?悩んだこと。在宅医療の現場で医師が患者家族に殺害される事件が起き、医療者―患者関係の神話が失われたこと。

 私が連載を続けた1年間だけで、私が抱く「医療のあるべき姿」がこんなに揺らぎ続けました。このことで私は不安を抱き、それは今も続いています。

 「医療の正義」なんてこだわらないで、淡々と仕事をこなせばよいのでは?という声が聞こえてきます。しかし、医療者は理想を持たないと続けられないのではないか?とも思います。それは、医療者の存在自体が、運命的に矛盾を抱えているからです。私達は患者を救うことを使命としているのに、治せない病気はたくさんあるし、誰もが最後は亡くなります。その矛盾の中に私たちは立っています。立ち続けるためには、自分を支えてくれる「理想」が必要なのだと思います。

 私が時々お話をさせて頂く占い師さんから教えていただきました。「悩みを抱えた医師がたくさん相談にいらっしゃいます。でも、弁護士や裁判官といった人にはお会いしたことがありません。人を裁く立場なのだから、いろいろと悩みそうですけどね」。私はその理由を考えました。弁護士や裁判官は法律の世界に生きています。法律は人間が作ったものですから、彼らは了解可能な世界で生きています。しかし医師は生命の世界に生きています。なぜ人は生まれ、なぜ死んでいくのか?誰も理解できません。了解不能な世界で生きているために、医療者は悩み、時に占いに頼る必要があるのではないのでしょうか?

 「了解不能な医療」に正義など存在するのか?さらにわからなくなります。あるかないかわからない正義を持たなければ、立っていることが難しい医療者は、その存在意義さえ見失ってしまいそうになります。

 このやっかいな「医療の正義」について、私は考え続けて来ました。生命という了解不能な世界の中で、立ち上がっては足下をすくわれ、理想を求めれば叩き潰される。それでも、医療の世界でまっすぐ前を見て、悩みながら立ち続ける。その立ち続けること自体が、私たち医療者の正義ではないか。これがこの一年考え続けた私の、今のところの到達点です。

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