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12月12日 図書館とまち


絲山秋子さんの「まっとうな人生」を読み始めた。
我が町の図書館は小さくて、新しめの絲山さんの本は見当たらなかった。

が、「まっとうな人生」、冒頭からとてつもなくいい。
言葉の選び方なのか「御社のチャラ男」の一部を読んだ時と同じ喜び。

なんというかシニカルな、且つ嘯いていない現実とのリンクと侘しさとそこにまた響く皮肉めいた主人公の言葉が沁みてくる。

いい本を選ばせてもらった。と図書館に対して思った。郊外の町の図書館なのでとてもこどもとご年配に向いていて、借り方の説明もとても丁寧だった。
ビジネス層のいない学生もいない図書館というのに久しぶりに来た。夜だからかもしれない。

豊橋で図書館に行った時に同じような気配があった。学生は勉強に来ていたけれど、こどもとご年配の方の日々のコースとして存在しているみたいだった。

東京23区と離れても都心まで1時間以内の街街に住んでいる時は図書館は学生と大人たちとご年配の方で意外とごった返していて、こどものコーナーは案外少ないところもあった。
おそらく児童館にこどものものはあるのだと思う。
街町によって様々な空間の在り方はちがう。
つまりは人の在り方も違うし、違うのが当たり前っちゃー当たり前である。
けれどなんとなく移転するたびにそういうことを楽しんで感動している。
図書館は町を観察する上でひとつのよい指針になっていた。
町中華はどこでも町中華である。
名店が必ず1軒はあるものだ。
ここに行ったらこの中華に行く、ってなもんでそれぞれ大好きだが、そこに空間の在り方の差は見出せない。店毎はもちろんちがう。

図書館という公共で作った無料で使える場で、且つ本への場への人々の距離というのが感じられるのも良い。
一つ前の街はみんなにとって図書館は駅前だし便利で且つ少し情報を得るために、集中して読む学習するために必須の場所のように感じられた。
毎日閉館の19時ごろまで人が結構いた。

ところで「まっとうな人生」はまだこれから承の部分が展開して行くはずだ。
物語の序盤。
私は図書館には長居はしない。
通勤の列車内で借りた本を読む。
絲山秋子さんの世界にまた入って行くのである。

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