テレワークゆり物語 (101)ひとりっ子は「かわいそう」じゃない
「きょうだいがいないと寂しいでしょう。由利ちゃん、かわいそうね。」
幼い頃、そんな風に言われるたびに、心の中でこう思った。
「私はかわいそうじゃない。ひとりっ子で良かった。」
私の世代では、ひとりっ子は珍しかった。
小学校の頃の友だちには、みんな、きょうだいがいた。
しかし、本人にしてみると「きょうだい」という存在自体を知らないので、どう寂しいかわからない。
わかっていたことは、両親が私を宝物のように大切にしてくれること。
わがまま放題、好きなことをさせてくれていること。
自分がとても幸せであるということ。
だから、ひとりっ子で良かった。
そして娘を3人育て、あの頃の自分の考え方は正しかったことを確信する。
幼い子どもは、親が大好きだ。
親をひとり占めしたい。
自分を一番好きでいてほしい。
三人の子どもたちには、「親を自分ひとりのものにできないストレス」が存在していた。
ひとり娘だった私には無かったストレスだ。
親を独占するために、子どもなりに、行動する。
「良い子」になったり、「悪い子」になったり、「甘えた」になったり…
とはいえ、そのストレスも、決して悪いものではない。
長女、次女、三女、それぞれの立場があり、「きょうだい」という関係性の中に、自分の立ち位置を見つけ、それを乗り越えることで、子どもの成長にもつながったと思う。
では、ストレスが無かった、ひとりっ子の私はどうだったかというと、「自由奔放」「わがまま放題」の道を突き進んだ。なんでも自分の思い通りになると思っていた。
とんでもないことであるが、世の中に出て、そんな甘いものではないことを知り、乗り越え、それはそれで成長につながった。(はずだ)
もちろん、ひとりっ子がみんなそうであるとは限らない。親の考え方、子どもとの関係性によって、いかようにでも振れる。
長女のように「しっかり者」になったり、次女のように「マイペース」になったり、三女のように「のんびり屋さん」になったり。(我が家の例ww)
最近は、結婚する年齢が上がり、子どもを産む年齢も上がり、本当は二人ほしいけど、仕事のこともあり、ひとり産んで育てるのが精一杯、という人も増えていると聞いた。
でも、決して「ひとりっ子だからかわいそう」と思わないでほしい。ひとりっ子はひとりっ子なりのメリットを享受し、幸せに育っているのだ。
※写真は『我が世の春』をおう歌した時代の、ひとりっ子の私。
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