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テレワークゆり物語 (181)マイカー&マイライフ

私は、車が大好きだ。

免許を取ったのは、大学4年のとき
教習所は東京・杉並、仮免は青梅街道というハードな訓練?のおかげか、
車庫入れが得意なのが自慢である。

若い頃はカーローンを組み、完済次第、次の車に乗り換えるほど。

誕生日の今日、そんなマイカーライフを、これまでの人生と共に振り返ってみた。

すると、わが事ながら、その「計画性の無さ」に驚くばかり。

無謀なマイカー遍歴は、無謀なマイライフを映し出す鏡のよう。

とはいえ、その時その時の、社会や家族とのシーンがよみがえり、けっこう楽しい執筆だったりする。

みなさんも、マイカーを振り返ってみてはいかがでしょうか。

以下は、自己満足かつ、超長いので、ご興味とお時間があれば…


免許取得2週間。人身事故で免停

車庫入れが得意などと自慢してしまったが、人間「過信」は禁物。

免許を取って2週間後のこと。レンタカー(日産マーチ)を借りて、千葉の友人の家に猫を届けるという無茶をした。途中、緩やかな坂で信号待ちした際、猫に気を取られてブレーキが緩み、前の車(マークⅡグランデ)にコツンとあててしまった。

「やってもうた」

そして前の車の中から、怖いオジサンが、首に手を当てコキコキしながら、出てきた・・・

これ以上は、ここで詳しくは語るまい。
(でもいつか書きたいほど大変な目にあった)

結果、私は免許取得2週間で「人身事故」を起こし、簡易裁判に出向き、免停となった。

繰り返し言う。マーチ(1000cc)が、マークⅡグランデ(2500cc)に、コツンとあたっただけである。もちろん、あてたのは事実。しかし、人身事故とは!

おかげで若くして、世の中には「怖い人」がいること。
「お巡りさん」も「お医者さん」も、いい人ばかりではないことを学ぶことができた。

大学生活最後の『カローラ ターセル』

大学卒業の数か月前、親が、卒業祝いにと車を買ってくれた。
(20万円の中古車)

東京で4年間暮らした「6畳一部屋・トイレ共同・風呂無し」のアパートの家賃の2.5倍という車庫を数か月間だけ借り、私のマイカーライフが始まった。

その車は、トヨタのターセル 

トヨタ ターセルハッチバック。私が乗っていたのは白

自分が選んだわけではないし、古い車だったが、はじめてのマイカーは、かわいくてしかたがなかった。

音楽装備は、片面を再生したら止まる、カセットプレーヤー。
唯一持っていた音楽テープ、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」を聞くと、今でも心がキュンとする。

大学の卒業式を終え、就職のため、アパートを引き払い、奈良に帰る。
小さな車に、最後の荷物と大学時代の思い出を詰め込んで、西に向かった。

思い出は尽きない。

社会人になって買った『カローラⅡ』

奈良に戻り、シャープの奈良工場に就職した私は、先輩や同期の仲間とつるんでドライブに行く機会が増えた。

正直、古いターセルはかっこよくない。
新しい車が欲しくなるのも無理はない。

ちょうどその頃、ターセルの後継として登場した、カローラⅡの二代目。

ドアミラーに、リトラクタブルライトで、かっこいいったらありゃしない。

社会人2年目にして、カーローンで購入を決めた。(1986年)

トヨタのカタログから。納車前は毎晩これを眺めてから寝た

週末は、奈良を起点にいろんなところへドライブ。
無線の免許をとってアンテナ取り付けたりして、楽しかったなぁ。

独身時代最後の『カローラ レビン』

私の車への欲求は、だんだん高まっていく。
カローラⅡのローンを払い終えるやいなや、次の車を探し始める。

当時、トレノと並んで人気の『カローラ レビン』。
6代目のフルモデルチェンジが、とにかくかっこ良かった。
あんなに好きだったカローラⅡからサラッと乗り換えてしまうのだから、女ごころはわからない。

トヨタのカタログから。ミニソアラとも呼ばれた「デートカー」

車好きの独身女子、最後の贅沢だった。(1988年)

チョロQみたいでカワイイ『RAV4』

結婚すると、車を買い替えるどころではない。

ダンナの転勤で暮らした仙台では、通勤車。
長女が生まれて暮らした津山では、買い物車。
ライフスタイルとレビンは、正直、アンマッチだったが、買い替えるお金がない。

そして愛知県の稲沢市に引っ越した1994年。
その車は、登場した。

チョロQみたい。かわいい!

RAV4に、ひとめ惚れだった。

ワクワクするほどかわいい初期の2ドア「RAV4」

シャープを退職して2年。
フリーライターとして、自分でお金を稼ぎはじめた頃でもある。

次女も生まれ、かわいくて小回りの利くRAV4は、買い物や保育園の送迎にピッタリだった。(1994年)

次女が生まれて、家族4人のRAV4ライフ

家族旅行がしたい!『イプサム』

「イプー」とかいう、かわいいキャラクターがテレビCMで何度も流れる。ファミリーカー「イプサム」だ。

トヨタのカタログから。3列シートが魅力的だった

次女も2歳になり、家族4人で遠出をしたい。

私の「車買い替えたい病」が悪化し、とうとう「車買い増ししたい病」になってしまった。(1996年)

名古屋時代の遠出は、イプサム。バックは富士山

さっそくイプサムをフェリーに乗せ、夏に北海道旅行にも行った。
まさかそこに住むとは、夢にも思わなかったけどね。笑

北海道なら大きい車乗りたい!『グランビア』

1997年、三女が生まれた5か月後の10月。
ダンナに北海道の北見市への転勤辞令が出た。

せっかく北海道に来たから、大きいワンボックスに乗りたいよね。

トヨタで一番大きい『グランビア 』がええんちゃう?

トヨタのカタログから。7人乗りのグランビア

私もダンナも車好きなので、どちらかが言い出したら、止める人がいない。

ということで、北海道へ来て間もなく、イプサムを下取りに出し、グランビアに乗り換えた。(1998年3月)

大きいワンボックスで北海道ライフを満喫

グランビアで北海道ライフをめいっぱい楽むことができた。
家族5人の思い出がたくさん詰まっていた。

雪道のスリップ事故で『グランビア』全損

忘れもしない、1999年11月30日。
週末、家族5人で西興部にお泊り旅行に出かけた帰り道。

雪がうっすらと積もった、オホーツク海の直線道路。
ハンドルを取られたと思ったら、制御が効かなくなった。

スローモーションのように左右に数回揺られながら

あっ、もうダメかも

そのまま、反対車線を横切って、向こう側の草原に転げ落ちた。

2回ぐらい横回転して、ようやく止まった。

5人ともたいした怪我が無かったのは奇跡

後部座席の子どもたちを見る。
泣いている。生きてる。良かった。

家族の思い出がつまったグランビアは、2年足らずで廃車になった。

「グランビアが壊れちゃった~」と泣く長女に
「いつか、また買うから、家族で一緒に乗ろう」
そう誓った。

四角くてスペース効率重視の『bB』

一方、大好きなRAV4は、一緒に北海道にやってきていたものの、問題があった。
購入時は4人だった家族が5人に増えたためだ。

4人乗りの車には、家族5人が乗れない

大好きな車だったので手放したくはなったが、グランビアが無くなり、そうは言っていられない。

さすがにお金が無いので、コストパフォーマンスの良い車「bB」に乗り換えることにした。(2000年)

トヨタのカタログから。スペースも価格もいい感じ

コンパクトなのに、家族5人が乗っても、狭くない。
bBは、とてもいい車だ。

でも、いつかもう一度、自分が惚れこんだ車を手に入れたい。
そんな野望を持っていたことは否定しない。

終の車は『ニュービートル』?

私は「赤」という色が大好きだ。
「ビートル」という車があることは知っていた。
丸みがあってかわいいことも知っていた。

「終(つい)の棲家」という言葉があるが、
私の「終(つい)の車」は、フォルクスワーゲン・ビートルにしたいと、ひそかに狙っていたのだ。

2003年、43歳のとき、ようやく手に入れることができた。(ローンだけどね)

もちろん、大好きな「赤」だ。

お気に入り写真「虹と同じ弧を描くビートル」

免許を取って21年。8台めにして、

一生乗り続けたい

そう思える車を手に入れることができた。

しかし、私のマイカー物語はまだまだ続くことになる。

思いもよらないことで、私はこの「ニュービートル」と別れをつげる。

以下につづく・・・

※冒頭の写真は、ニュービートルお気に入り写真、その2


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