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テレワークゆり物語 (38)「転勤族の妻」の葛藤

えっ?! 田澤さんの奥さん、お仕事されているの???
社宅の奥様たちに驚かれた。

私は、1990年から10年近くの間、仙台(宮城)、津山(岡山)、稲沢(愛知)、北見(北海道)と各地で暮らした「転勤族の妻」だった。
夫の会社は金融系で、全国転勤が当たり前。2.3年おきに転勤辞令が出て、全国各地を転々とする。子どもの学校問題などでお父さんが単身赴任するまでは、家族みんなで引っ越しを繰り返す。

社内結婚が多いので、夫の仕事を良く知る妻は、全国転勤は覚悟の上。寿退社をして、家事と子育てに専念し、夫の転勤についていく。
そもそも全国転勤がある大きな会社は、お給料もそれなり。妻が仕事をする金銭的な必要性は低い。

「転勤族の妻は、専業主婦が当たり前」の時代だった。

社宅の奥様たちの間で、私は「変な」存在だった。日中は自宅にいるのに、社宅の「昼のお茶会」に来ない。理由を聞くと「仕事をしているから」。当時の奥様たちが、理解できなかったのも無理はない。笑

「男性だから女性だからではなく、ひとりの人として、一生働き続けたい。
社会にかかわり続けたい。たとえ「転勤族の妻」であっても。

そんな私の考え方は、当初は、夫でさえも理解できなかった。
夫の母は、専業主婦として3人の息子たちを立派に育て上げた。息子3人の嫁にもいつも気づかい、大好きで、尊敬する女性だ。彼女に育てられた夫が「働く」ことにこだわる私を理解できなかったのは、仕方なかったのかもしれない。このことで口論になることもあった。

「嫁は、普通、家にいるもんちゃうんか?」

あんまり言うので、

「だったら、家で働けばいいんでしょ?」
と、いうことで、在宅ワーカーになった。笑

・・・というのは、後付けのネタだが、当時の私の働き方であった「在宅ワーク」は、パートナーの転勤への柔軟な対応はもちろん、家族の平穏にも貢献していたようだ。

時代が変わり、『寿退社』という言葉が死語になり、女性が働き続けることが当たり前になった。

「転勤のない職種」「地域限定型の雇用」など、企業における日本独自の「転勤文化」も変わろうとしている。
「人材確保」の視点から、パートナーの転勤先での本社勤務(テレワーク)を可能にする会社もある。さらに、テレワークスペースが用意された社宅も登場しているらしい。

今思えば、私は『最先端の転勤族の妻』だったのかもしれない。

※冒頭の図は、1997年9月、北見への転勤が決まった日の日記。そこが、最後の転勤の地になるとは、思いもよらなかった。

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