グリザイユ

今、自分は腕組みをしている。
腕組み自体は毎日しているのだが、今はいつもと違う。強制的な腕組みだ。
普段は右腕を下にしての腕組みなのだが、今はいつもと違う。左が下だ。
いつもと違う腕組みに違和感を覚える。
違和感があるのだから解きたいと思うが出来ない。強制的に動かすことが不可能なのだ。
お気付きの方もいらっしゃるだろうが、自分は今、拘束衣を着ている。
つい先程まで目隠しをされていたし、口にロープを咥えさせられていた。
足は椅子の脚に縛り付けられていて身動きがとれない。
要は、なかなかの状況だということだ。

目の前には男性と女性がいる。
声から察するに、男性は50代、女性は30代だろうか。
声で判断するしかないのには理由があって、彼らが頭にタイツを被っていて顔がよく分からないのだ。
彼らの顔を見た時、笑ってしまった。
改めて言おう。タイツを被っていたのだ。
顔を隠すにしてもお面とか他にも対応策はあっただろうに。
よく観察すると、女性のスカートから伸びる脚が素足のようだ。
勝手な想像だが、顔を隠すものを用意し忘れてしまい、慌てて女性のタイツを割いて被ったのだろう。
女性は髪をポニーテールにまとめており、そのまとまった髪がタイツの余った部分に収まっている。髪を収めるのに使うとはなかなかの策士だ。
一方男性は、タイツの余った部分が顔面の前に垂れている。余計なお世話だと思うが、それでは話しにくいのではなかろうか。
縛られていてなかなかの状況の私に言われたくないだろうが、もう少しちゃんとして欲しい。

私はモノクロフォトグラファーである。
分かりやすく言えば、白黒の写真を撮る写真家だ。
一介の写真家がなぜ縛られる状況になるのか不思議に思うだろう。
私自身も不可思議だ。
目の前にいる男女が言うには、私の撮った写真に重要なものが写ってたらしい。
「この男が持っている瓶は何色だったんだ!」
男性が私の撮った写真を目の前に突き出し、高圧的な物言いで迫ってきた。
威圧的な態度に恐怖を感じるが、彼の顔を見るとタイツの圧で頬の肉が上方に持ち上がっており、七福神の布袋さんが騒いでいるようにしか感じられない。

「私がモノクロフォトグラファーだと言うことはご存知ですか?」
「当たり前だ。だからこそ今聞いている。」
「私が色覚異常だということは?」
聞き慣れない言葉からか、二人がキョトンと黙る。タイツで肉が寄っていてもそういうことは分かるのだからすごい。
「色盲って言えば分かりますかね? 色の判別が出来ないんです。」

世界には様々な色があり、彩りが溢れている。
人はそう言うが、私からしたら白黒の濃淡があるだけだ。
新緑の緑も知らない。青空に舞う桜吹雪も知らない。海の碧さも知らない。曇天に降りしきる紅葉の深みも知らない。
周りがどんなに騒いでいても、私には私の世界が目の前に広がっているだけなのだ。
憐れまれたこともある。自分を不幸だと感じたこともある。
不幸になってみても世界はモノクロのままだった。

写真は自分の世界に沈む絶好のツールだった。
最初、カラーで写真を撮ってみた。続けるうちに構図を褒められるようになった。
しかし自分は何も納得していなかった。自分の撮った写真をいくら眺めてみても、自分の見ているようには撮れていなかったからだ。
絞りを調整したり、ホワイトバランスを変えたり、様々な過程を経て、自分の見ている世界と同じものを設定にまで落とし込んだものだ。
自分は自分の見ているものを提示しているに過ぎない。

「では、この瓶が何色だったか調べようがないのか…。」
男性がガックシと肩を落とす。女性が男性の肩に手を置く。
布袋さんが項垂れるとこんな感じなのだろうか。
「用は済んだようですし、この拘束を解いて貰えませんかね?」
「ダメです!」
女性が反射的に答えた。
「私たちが出た後に別なものが外しに来ます。それまではそのままで居てもらいます。」
「分かりました。」
「…それだけですか?」
「それだけとは?」
「もっと何か無いんですか? なんでこうなったんだとか?」
「この後、私は殺されたりするんですか?」
「え?」
「この後殺されたり、まだ何かされるんだったら抵抗しないととは思いますが、解放されそうだなって思ったのでいいかなと。」
「瓶の中身には興味ないですか?」
「興味ないですね。聞いたら教えてくれるんですか?」
「答えませんね。」
「早く解放されたいとは思ってます。同じ姿勢をずっとしているからキツイんです。」

彼らは部屋を出て行った。
出て行く時にこちらを振り返った。
何かを言いたそうだったが、タイツで肉が寄っていて表情は読めなかった。
暫くすると屈強な男が2人入って来て、拘束を解いてくれた。
強ばっていた身体に血が巡り始めた。

もしかするとなかなか体験しない珍しい状況だったのかもしれない。
瓶の中身が危険物で何かが起きているのかもしれない。
しかし、何が起きていようが目の前の世界はモノクロのままだ。
屈強な男に挟まれながら薄暗い通路を歩き始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?