長編連載小説 Huggers(65)

小倉はある女性に会いに行く。

小倉  10

 小倉は尼崎駅の改札で裕子を見送った。裕子は何度も振り返って手を振った。
 昨夜、裕子の寝顔を見ながら思った。
 もう何も、思い残すことはない。
 日本ハガー協会は解散し、ハガーもホルダーも、みんなバラバラになった。裕子はもう、セッションを続ける気はないという。二度と会うこともないだろう。
 自分が生き続ける意味は、もうなくなった。

 文具店の中に入るのは、22年ぶりだった。
 彼女は22年前と同じように、自動ドアのすぐ右側にある、カウンターの中にいて、小倉が入っていくと元気よく「いらっしゃいませ~」と言った。少し赤っぽいくせ毛は高校生のころと少しも変わっていない。
 目当てのものは、カウンターの横にある棚に並んでいた。「御結婚祝」と書かれた祝儀袋を一つとって、カウンターの上に置く。
「400円です」
 彼女が言って、小さな紙袋に入れようとするのをさえぎって言った。
「あの、すんません、字、書いてもらえます?」
「ああ、代筆ですか? やりますよ。筆ペンでかましまへんか?」彼女は小倉の買った祝儀袋をビニール袋から取り出しながら言った。
「はい、お願いします」
 彼女はエプロンのポケットからおもむろにメガネを取りだしてかけた。
 店の奥にあるドアから、店主の老人が出てきた。
「おいナホ、もうそろそろあがらんかいな、式の準備があるやろ」
「お父ちゃん心配性やな。大丈夫、大丈夫」彼女は笑って、小倉に向きなおり、「なんて書かはります?」と聞いた。
 店を出て、紙袋から彼女の達筆で「小倉忠典」と書かれた祝儀袋を取り出し、紙幣を入れる。それからまた紙袋に戻し、店の外にある郵便受けにそっと入れた。

 文具店から歩く帰り道、ふと自分のブログのことを思い出した。自分が消えてから、あのブログが長く人の目にさらされることを考えてひどく気が滅入った。
 1か月ぶりにパソコンを開き、管理画面に入って削除しようとしたが、コメントの数がどうしても目に入ってしまった。
 愕然とした。コメント数221と出ていた。
 見てはいけない。小倉は自分に言い聞かせた。見たら未練が出る。
 この期に及んでもまだ、自分は誰かに必要とされたいのか。まだ、誰かにこの世につなぎとめてほしいのか。会ったこともなく、顔も本名も知らない誰かに。
 結局、見ないではいられなかった。
「平太さん。今どこにいますか? 馬鹿なこと考えちゃだめですよ。必ず帰ってきてくださいね」
「平ちゃん、どうしたの? 待ってるよ~。平ちゃんのこと、信じてるからね」
「平太さん、あなたの存在に感謝します。あなたが決められたことだから仕方ないけれど、絶対生きててくださいね。遠くからあなたの幸福を祈っています」
「眠猫さん、オレ何度もあなたに助けられたよ。どうか生きてくれ」
「急にやめるなんて、反則だよ。オフ会、いつかやろうねっていったんじゃん。うそつき!!帰ってきて」
 一度読み始めると、止まらなくなり、次から次へと読んでいった。涙は出なかった。こんな優しいコメントに自分は値しないと感じ、その思いに応えられないことがただ苦しかった。それでも百近いコメントに目を通し、そろそろやめなければと思ったとき、見慣れないニックネームに目が留まった。「亀はマンネンの妻」のコメントには短く「大至急連絡ください」とあった。日付を見ると一か月ほど前だ。
 狐につままれたようだった。ブログの存在はハガー協会関係の誰にも言っていないし、協会のホームページにもリンクは貼っていない。「亀はマンネン」が、どうして「眠猫平太のブログ」が小倉のブログだと知っていたのか、想像もつかない。
 断腸の思いで、ブログの登録を解除し、未読のコメントごとすべて消去したが、コメント主の名が「亀はマンネン」でなくその妻であったこと、また「大至急」という言葉がどうしても気になった。
 悩んだ末、携帯の電源を入れた。そしてやはり、百通近い未読メールの上のほうに入っていた「亀はマンネン」からのメールを開いた。三週間ほど前の日付だった。
「初めまして、小倉さん。『亀はマンネン』の妻です。何度もメールをお送りし申し訳ございません。これを最後にいたします」
 読んでいくうち、携帯を持った小倉の手が震えだした。
「『亀はマンネン』こと杉山勇は、昨日午前三時二十二分、永眠いたしました。享年55歳でした。
 主人は筋委縮性側索硬化症(ALS)という病気でした。だんだんに全身の筋肉が委縮し、四肢が麻痺し、最後は自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけない選択をすると数年以内に死亡する難病です。主人は呼吸器による延命を希望しませんでした。最近は構音障害と舌の委縮で話ができなくなり、特殊なパソコンを使ってコミュニケーションをしておりました。今まで小倉様に送っていたメールも、主人がパソコンで書いたものを私が送っておりました。
 主人は西野様のホルダーであることを大変誇りに思っており、動けない身体になっても、西野様、小倉様を助けることで間接的に人様のお役に立てることを生きがいにしておりました。
 小倉様がホルダーを降りられて間もなく急性肺炎を起こし、このようにあっけなく逝ってしまいましたが、その直前に小倉様あてに最後のメッセージを残しておりました。
 どうか主人の遺言と思って読んでください。

 小倉君
 君のブログは、一年ほど前に見つけた。ずっと読んでいました。最初に偶然見つけたときすぐ、君が書いているとわかったよ。そりゃあ、わかるよ。私達はずっといっしょに共振していたからね。

 小倉君、私はもうすぐ向こうに帰る。その前に言っておく。
 つらいのはわかる。
 でも、死んではいけない。

 もしそれでもどうしても死ぬというのなら、頼むから、私に残して行ってくれ。

 思い切り呼吸ができ
 自由自在に歩き、走り、
 自分の面倒を自分で見られるその身体を

 人に差し伸べることができ
 愛する者を抱きしめることができ
 思いを綴ることのできるその手を

 優しい言葉と
 心からの感謝と
 どんなに愛しているかを伝えられるその声を

 オレに残して行け。
 そうしたら いつでも勝手に死んでいい。
 でももしそれができないのなら
 こんなに君のことを思ってくれる人たちを残して
 死ぬことは許さない。絶対に。生き抜け。   
            亀はマンネンこと 杉山勇」
(つづく)
  

 


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