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長編連載小説 Huggers(52)

小倉は深い喪失感を味わう。

小倉 8

 裕子が講師になって発足した新しいハガー養成コースの第1期生であるミアが、12月の始めに無事コースを修了して独り立ちし、キンモクセイとほか3名のホルダーとともに順調にセッションをこなしていると聞いて、小倉はひとまず安心した。しばらくはハガーであることを公開せず、主として友人や仕事関係の仲間などにセッションをしていくということだった。

 報告をしてきた裕子は誇らしそうで、またひとつ自信をつけたように見える。成長の後が感じられた。さわやかな裕子の顔を見て、自分はやはりホルダーとして過保護なのかも知れないと小倉は思った。もう少し手を放して、遠くから見守っているべきなのだろう。
「沢渡さんの件は、どうなった?」
 よい報告のついでにと思い、さりげなくそう尋ねると、
「ああ、その件ですか。ごめんなさい。報告しなくて。振られました」裕子はさらりと言って、笑った。
「そうなの?」
「ええ。あっさり、さっぱり。だからかえって、吹っ切れました。もう大丈夫です。ご心配おかけしました」
「そうなんだ、ならよかった」
 どんなふうに告白して、どんなことを言われたのかと聞きたい気持ちを抑えながら、小倉は言った。
「久しぶりに、共振してもらえますか?」
 そう言った裕子の前触れのない微笑に軽いめまいを感じ、小倉は「ああ、ええ」とあいまいな声を発しながらうなずいた。

 共振にはいつも違った味わいがある。目を閉じて裕子から発される微かな振動をとらえ、同調する。しばらくすると、ホルダーの誰かが共振に加わったのを感じた。最近では共振の全体の味わいの変化で、それが誰かだいたいの見当は付く。水彩画のようなやさしい透明感は、「はちみつティガー」の特徴だ。
「ティガーさん、かな」
 裕子の笑いを含んだ声が聞こえた。
「そうですね」
 小倉は言う。温かい何かが心臓のあたりからあふれてくる。そっと手を当てると、手のひらもだんだん温かくなる。そのぬくもりをじっと感じていると、ふいに切なさがこみ上げてきた。裕子とは数えきれないほどに共振をしてきたが、このような切ない感覚は初めてだった。彼女に何があったのだろう。言葉にならない思いが胸を浸す。
 相手が目を閉じているのをいいことに、涙が流れるままにしておく。ティガーも日本のどこかで、やっぱり泣いているのだろうか。
 うつくしい、という音が頭の中に響いた。美しく悲しく、そしてどこか懐かしく、心が洗われるような涙だった。
 このままずっと、目を閉じたまま共振していたい。永遠に。そう思いながらもそろそろ涙をふかなければと、ティッシュを探して目を開けると、目の前のモニターに、やはり涙で顔を濡らし、放心したようにこちらを見ている裕子が映っていた。

 裕子が代表のハグを受けにアメリカに行く、という話は9月から保留になったままで、その理由はずっと明らかにされていなかった。
 代表が亡くなったという事実が知らされたのは、年も押し詰まった12月の26日で、協会員あての一斉メール配信という形での発表だった。死因や死の状況は明らかにされなかった。
 代表に会ったこともなく、年齢も性別も知らされていなかったにも関わらず、そのメールを読んだとき、小倉は言いようのない喪失感に襲われた。その人が自分にとって、世界にとって特別な存在だったということが、体感として彼には感じられた。
 いつも核にあった、何か大きなものが失われた。そう思った。
 ボストンの教会でひっそりと執り行われた葬儀の模様は、ネットでリアルタイム配信された。実際に参列している人は少人数だったが、実際には非常に多くの人々が、代表を送る共振に加わっているのがわかった。
 壮大な共振だった。
 深遠さと神聖さと静寂が世界を満たしていた。代表に会ったことも、写真を見たこともない世界中のハガーが、ホルダーが、関係者全員が無言で悲しんでいるのが伝わってくる。
 大地が揺れるような悲しみだった。しかしその悲しみの底流には平安があった。静かな、圧倒的な、奥深い平安だった。
 自宅のパソコン画面を見つめながら、小倉は永遠という言葉を思いうかべていた。
 喪失の時、人は永遠を思うのだ。彼は思った。
 永遠を思うとき、そこには慰めがあった。すべてが消えたあとにも残る、何かがある。体も心も魂も、何もかも夢のように消え去ってしまっても、そこにはまだ残る何かが確かにあるのだと、小倉は思った。
(つづく)

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