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自分探し

ビジネスや自己啓発系の本やYoutubeで、心動くのは、大抵男性が多い。

稲盛和夫さん、本田健さん、西田文朗さん、斎藤一人さん、中村信二さん、本棚に並んでいる本の背表紙を見るとこんな傾向。

Youtubeは、鴨ガシラさん、西野さん、スピリチュアル系では江原さん。
最近では、女性の方で和田裕美さんの陽転思考は、勉強になる。

学びは大きい。でも、その通りにはなかなかなれない。

学ばなくては。。。という思い。成功したいという思い。でも、それは何のため?そして、成功とは?成幸とは?

短大を卒業して父のツテで、入った商社。自分の力で入った意識が全くない。面接もそこそこに、とりあえず、じゃあ来てもらおうか。といった感じ。自分で就活をしていなかったかといえば、そうではなく、ちゃんと企業の2次面接や役員面接まで行ったにもかかわらず、ツテの会社の面接日と重なって、父からすると、取引先にお願いした手前、そちらに行ってほしかったんだろうなぁと。。。
娘からすると「勝手にするな」ということになるのだけれど、私の中の優柔不断な性格が頭をもたげて、自分の力で就職先を勝ち取る勇気がなかった。
まあ、甘ちゃんだったという一言に尽きる。
そんな感じでの就職だったので、同期とは、仲良くしてもらったけど、心の中の後ろめたさはぬぐえなかった。
彼女たちは同じ専門学校で、就職するために2年間を過ごしてきたため、なにかとしっかりしていた。私といえば、短大で自分の将来も描けていない、ただのぼんやりとした学生で、バイトもファーストフードで2年間。いろいろな経験を積んだという記憶もない。なので、今思えば、自分に合う場所であったのかとも思う。

当時の女子社員には、いろいろな能力を求められるわけもなく、仕事はコピー取り、お茶汲み、電話、程度で入社した時から、母には「コピー取るために会社に入ったわけじゃない」と、よく愚痴をこぼしていた。
それでも父の手前辞めることもできず、良く言う「石の上にも3年」を胸に翻訳の学校へ行ったり、(でもあんまり面白くなかった)ジャズダンスを習ったり、(これはただの気晴らし)次へのステップを考えてはいたけれど、心動くものには出会えなかった。
3年を機に辞めようかと思っていた矢先、当時の上司から技術資料の翻訳を勧められ、(今から思うと辞めようと思っていた気持ちを逸らすためだと気づくのだが)毎回頭を悩ます日々。
業界ど素人の訳文に(半導体技術資料だったので)根気強く、毎回赤字で添削してくださった心優しい上司だった。よく、こんな人間に会社は給料を払っていたと思う。
その上司も移動で部署が代わり、また自分探しの毎日が続くなか、縁あって、当時同じ会社にいた夫と結婚することになり、4年10ヶ月を経て会社を辞めることとなった。その時の上司は、「辞めようと思います。」「あっそ、」てな感じで、結構拍子抜けしたことを思い出す。
そりゃそうだ。だって、引き止められるものなんて持ってなかったから。
でも、結局同期の中で私が一番長く勤めることになった。
今から考えると、なんで皆辞めていったのかしら。それすら、記憶にない。
ほんと、天然さんですわ。( ゚Д゚)

24歳で結婚すると勝手に自分の中で決めていたので、その通りになった。
その当時から、今でこそスピリチュアル系という言葉があるけれど、目に見えないものを信じる傾向があり、5円硬貨のダウンジングで毎回、結構年齢を占うたびに24で5円玉がピタリと止まるという現象が。
夫に結婚を申し込まれたときは、正直、付き合っていなくて、でも、直感で結婚を決めた。全く、知らない人でもないし、4年10ヶ月は仮にも同じ仕事場にいた人だし、悪い人でもなさそうだし。

でも!若気の至りとは、このことなり。何も考えていなかった。
私の甘ちゃん加減は結婚しても、そのままで、いろいろな出来事に出会うたびに自分を成長させてくれているのだと実感しつつも、今なお、甘ちゃん道を進んでいる。結婚して32年。子供たちも31歳。

最近、いろいろなところで目にする「自分の好きなことをしなさい」というメッセージや還暦を迎えた先輩が、「自分のやりたいことをします」とおっしゃられるのに遭遇して「自分の好きなことって何?」とそろそろアラカンを迎える私も「自分探し」、「自分の棚卸」をしていこうと思った次第で。
このnoteに書き綴ることにしました。

とりあえず、今日はここまで。ではまた。

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