死期を感じる

別に余命を宣告されたわけじゃないが。
鉛のように体が重かったり。
感情や心が抜け落ちて記憶が保てなかったりする。
過去の記憶は感謝やら色々よくもわるくも
強く感じたものくらいは記憶に残っているけど。
それ以外は大してなんもない。
子供の時の記憶なんてほとんどないし。
母方の祖父母の顔もほとんど忘れた。
説明するほどの記憶もそんなにないし。
主治医に説明するだけの説明ができるほどの
こともない。
長い付き合いの仲間との思い出は
なんとかあるから。
別にかまわないし、大して悲観もしていない。
出来る範囲の好きなことが誰かとの幸福に
なる関係のように努力すれはいいかなって。
幸いな五体満足のうちに若い子たちが
笑顔になるようなことを1つでもしてあげたらいい。
僕は捨て去る感情や心が多すぎて色々と
置いていった。
きっと僕は過去の僕のぬけ殻で出来ていて。
昔出来た笑顔と喜びを模倣している。
当たり前の生活は奇跡だってことを
忘れちゃいけない。
万が一僕と笑ってくれる人達より先に
死ぬのならば。
彼らや若い人達に向けて生きていたと
そう告げたい。
ご飯が食べれて悩めて眠れて生きれることは
最高の贅沢だ。
感謝は無理強いはしない。
でもきちんとした様々な愛を向けれるひとが
いるならば感謝もまた素敵だと思うんだよ。
本来人との出会いは素晴らしいものだからね。

#詩 #詩のようなもの #若者達へ #死期

発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです