_タクシードライバーは見た__60歳を越えたタクシー運転手の幸せな働き方_のコピー__82_

#タクシードライバーは見た「やっちゃったなぁ. . . 」

―――やっちゃったなぁ、、、
タクシーの車内でそう口から吐かれるとこのあと出てくる言葉が気になる。
忘れ物をしたのか、サイフやスマホを失くしたのか、
はたまたズボン履いてくんの忘れた、なんてボケるのか。
この間お乗せしたお客様はガサガサと音を立てながら何度もそう言っていた。

深夜一時ごろ、六本木の芋洗い坂、六本木交差点から麻布十番へと抜ける細い通りで一人の男性をお乗せした。
身長は185センチほどで肌はやや黒く、ピチっとしたジーパンにシャツと厚めのをボタンを留めて着ている。
目の奥が見える薄めのレンズのサングラスを掛け、体つきは格闘家でもやっているかのような見た目。
年齢は40中盤から後半くらいだろう。
その男性の行き先はワンメーターでいける距離だった。
近距離のお客様にタクシー運転手が言いがちな“ゴミ客”なんていう面白くもない発想は特に浮かばず、そのお客様をお送りしていた。
すると、「あっれ. . . 」と何かを探すような言葉が聞こえてくる。

ガサガサ、ガサガサ。
「うわっ、やっちゃったなぁ、、やっちゃった」
ヒソヒソと微かに運転席に聞こえるほどのボリュームで話すその声を聞くと、自然と聞き耳を立ててしまう。
人間には意識した途端にハッキリと音や声が聞こえてくる脳の機能があるらしい。ショッピングセンターで、自分が呼ばれていない場合のアナウンスは大して耳に入らないが、自分が呼ばれると何故か分かりやすく聞こえてくるような、あの感じ。
それを実感するように、その後の「やっちゃったな~」は大きくハッキリ聞こえてきた。
その男性の声量が次第に大きくなっただけの可能性も否めないが、脳の機能自体はあるのは確か。
何かをやらかしてしまった様子で男性はしきりに言う。

ハッキリと聞こえてくるとその後が気になり、どういう展開になるのか予想が始まる。
「運転手さん、ちょっと忘れ物しちゃった」
「あれ、、あっれ~、あ、あった」
「ちょっとカード取ってきていいすか」(乗り逃げアリ)
家についてカードを取ってきて支払うというケースも今まであった。
それに加え、最後のパターンはカッコして乗り逃げの見込みまでついている。
しかし心配はしていない。
強盗の可能性もゼロではないがワンメーターで目的地は目と鼻の先、しかも大きい通りに面したところでそんなことするとは思わない。
この男性はなにをやっちゃったんだろう。。。
ほんの1,2秒の出来事だが頭の中では次の展開を今か今かと待ちわびていた。

「あ~やっちゃったなぁ、、、運転手さん」
「はい」
「わりぃ、万札しかないんだけど大丈夫?」
「あ、ええ、大丈夫です」
「そっか、申し訳ない」
「はい、いえいえ、ありがとうございます!」

ようやく話掛けてきた男性は何を言うのかと思ったがなんだか嬉しくなった。
万札しか持っておらず、420円という料金に1万円札で支払うことにわざわざ負い目を感じてくれていた。
やっちゃったなぁと言うほどでもない。
万札問題はたまにSNSで議論になるが、運転手でも乗客でもいちいち理由をつけてやいやい言う人なんてほんと下らないと感じる。
きっと普段から小さいことにも気遣いをしてくれる人はそんな問題には出くわさなくて、それはタクシーだからどうこうでも、サービスだからどうこうでもなく、相手を想っている人なんだろうなと期待を裏切られた上に感服した。
ほとんどの運転手は万札出されても良いように準備しているだろうし、今回も全然問題ない。

別に期待はしていないけど、こういう小さい優しさというか気遣いって5,000円のお仕事をするより断然心が満たされる。
やられちゃったなぁ。


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