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#タクシードライバーは見た「おじいちゃんのお孫さん. . . ?」後編

雨が降る中、傘も差さずに立っていたおじいちゃん。
お乗せしてみると何度も「ごめんなさい」と言いながらバツが悪そうにしていた。
お会計時、後ろを振り向くと首からかけたカード入れには赤ちゃんの写る古い写真が入っていた。

前編はこちら
https://note.com/taxi_driver1/n/n1346ee882d67


頭の中では既に写真の物語を回想するシーンが流れ始める。

最初に回想されたのは写っているのがお孫さんだととした過去。
おじいちゃんにとって、中々会えないお孫さんの成長が今は唯一の楽しみ。
それを首にかけながらいつも過ごしている。
そして家に帰って来た。
しかし明かりは点いていない、もうお子さんとは離れて暮らしているのだろう。

明かりが点いていないということは妻とは一緒に住んでいないのかもしれない。妻には先に旅立たれ、自分自身も年を取ってなかなか余裕はない。
家族を持ったお子さんから渡された孫の写真を大事にしている。

いや、「もう離婚してください」、そんなことを言われ愛想を尽かされたという過去も見える。
離婚のときに娘と離れ、唯一残っていた娘の写真をずっと持ち続けている。
写真は古く、その見込みは高い分イメージは色濃く脳裏に浮かぶ。
何十年も前の、娘さんが赤ちゃんのころの写真を常に持っているということは、それくらい大切に思っているのだろう。
もしかしたら、ずっと会えていないのかもしれない。

夜11時だというのに帰る家には電気が点いていない。
このことがおじいちゃんの一人暮らしと、その寂しさにリアリティを持たせる。

この年になってくると、生活するにも人に力を借りていかなくてはならない。それがこのおじいちゃんにとっては人に迷惑を掛けていると自分を卑下することになり、いつしか人に謝ることが癖になってしまったのかもしれない。
そんなドラマが頭を廻ると目頭が熱くなってきた。
そこでようやく小銭入れからお金を出し始めた。
ゆっくりと、一枚とっては明かりに当てて確認し100円玉を1枚、2枚、3枚と出していくが途中で500円玉があることに気づき再び1枚2枚と小銭入れに戻し、500円玉を出した。
そのことにも「ごめんなさい」と言っている。
全く気にはしていないが、僕の視界には首からかけたカワイイ赤ちゃんの写真が入っていた。

お釣りを渡し、支払いを終えると「お世話になりました」と言って降りていくがその時も「すみませんでした」と付け加える。
「いえいえ、大丈夫です、ありがとうございました」そう言ってゆるい足取りでタクシーから降り、玄関へ入っていった。
きっと誰もいない。
かつて「ただいま」と言えば元気な声で「おかえり~」と返って来たであろう家に入っていく姿は寂しそうにも見える。

僕はその場を離れ、人通りもなく、暗く狭い道を抜けていくが頭の中にはさっきのおじいちゃんのドラマがもう一度再生されている。
正確には、自ら再生させていた。

ハッピーエンドが見えない話に、涙を零しかけたところで

「.... . . . . ん、あ。」

空想じゃないか。
我ながらアホらしく思ったが、少しだけ映画を見終えたような充足感をもちながら都心へ向かった。
次の出会いを求めて。

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