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#タクシードライバーは見た「極小のサーカス」

清涼な風が肌をさすり、夏の終わりを感じる日の0時を回った頃、
お客様をお送りしていた。
何度もお送りしたことある地域へ向かう道はいつもと変わらず、ところどころ夢の世界へ誘われる別のルートが現れる時がある。
お客様は眠りに入り、互いに一言も喋らないこの時間は、
心地良い訳ではなく、ただただ凡常の時間だった。

そういう時は大体、今見えているものか、最近気になっていることについて
考えを回していないと気が済まない。
いつものように頭の中を回しだそうとした時、
視界の右側に何かがスッと邪魔する感覚があった。

物体として認識できるほど見えるのではなく、目がかすむかのように視界に入ったそれに、大して気にはしないが、目を何度かこすり、瞬きをしても消えることがない。
するとその何かが上から下へ伸びるような動きをした。
一瞬チラッと右に眼球を回すと、ちょうど顔の右先、真っ直ぐ前を見た視界のギリギリの位置に糸が伸びていた。

物体としては認識できない程の太さの糸へ目のピントを調節してみると、
アリよりは少々大きいクモが糸の先についている。

―――え、なにこれ、カワイイ!

史上最小のクモを目にした。
僕は虫が嫌いではないが、きっと
虫嫌いでもこれならカワイイと言えると思う。
一般的なクモ、、、というモノが分からないが、脚だけやたら長いとか
バランスの悪さはなく、とにかく丁度いい見た目。
丁度という、人それぞれの感覚で変わる尺度を統一するにはきっとこのクモを使った方が良い。
そう思えるほど、クモの気味悪さを打ち消したサイズになっていた。

―――そういえば、これまでいろんな虫たちがやってきたなー。

これまでも虫たちが車内に入ってくることがあった。
蚊が入ってくることもあれば、テントウムシが入ってくることも。
ある時は、線路沿いの草が生えたところに止まっていると、ゴ〇ブリが入ってきたこともあった。

飛ぶタイプの虫は窓開けて逃がすことが出来るが、
歩くタイプは厄介。
しかも暗がりを好むから、逃がそうとすれば隙間へ入り込む。
「たしか逃がしたはずけど、車内にまだいたらどうしよ」
そんな不安をもちながら仕事をしたこともある。
出てきてしまえば、お客様の恐怖と不快感と怒りを生み信用を無くすかもしれない。
Twitterでは“タクシーでゴキブリと同乗してた”なんて言われかねない。
結局、問題は無かったがこれまで全ての虫たちは逃がしてきた。

今回のクモは運転中だったこともあり、特に対処しなかったが
居ても居ないような存在だからそのままにした。それに余計に触れたりしたら可哀想だし。

右側に居たクモは、車内の天井から垂らした糸を登ったり降りたり、車の動きによって左右前後に振られていたが、そこに時折入ってくる対向車のライトが得も言われぬ美しさを演出し、特等席でのサーカス鑑賞を愉しみながらお客様をお送りした。

世界で最も小さいサーカスが、
凡常の時間を少しだけ格別に変えてくれた。




※2019/09/24に投稿された記事を改稿した内容です。

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