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財産権がなければ感謝祭は「飢餓の日」になっていた

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こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。

早いものでもう暦は11月。

11月と言えば日本では全然馴染みが無いですが、アメリカでは「Thanksgiving Day(感謝祭)」という大きなイベントがあります。

感謝祭は、イギリスから宗教的自由を求めてメイフラワー号でアメリカ大陸へ渡り、マサチューセッツ州のプリマスに入植した清教徒たち(ピルグリム・ファーザーズ)が、荒野を開拓して得た初めての収穫を先住民達と共に食事をしながら神に感謝したことがその起源と言われており、建国の礎を作った人々を称え、収穫の恵みに感謝する日と位置づけられるアメリカの祝日です。

しかし現在の感謝祭ではそうした歴史的意味合いはかなり弱く、家族や友人達が集まりローストターキー(七面鳥)やパンプキンパイ、マッシュドポテトなどを振舞う食事会を開く「家族行事」として楽しまれているのが一般的です。

さて、この感謝祭の歴史については諸説あるのですが、その中の一つに

感謝祭の起源は共産主義の失敗という教訓である

というものがあります。

プリマスに入植した清教徒たちは最初、開拓した農地を共同所有し、収穫した農作物を配給制にして分配する「共有財産制」を導入していたものの、それにより極度の飢餓に陥ったという説です。

その後、その失敗の教訓から私有財産制に移行したことで状況は好転し、多くの収穫の恵みを得てプリマスは発展をしていったとされており、その内容はプリマス植民地の総督であったウィリアム・ブラッドフォードの回想録にも書かれているとされています。

良い機会ですので今日はそれを紹介しているコラムをご紹介しようと思います。

前述したように我々には馴染みの薄い「感謝祭」ですが、その歴史云々という話ではなく「私的所有権」や「財産権」というという観点で肩ひじ張らずに読んでいただければと思います。


社会主義の失敗と資本主義の成功に関する感謝祭の教訓

感謝祭は、財産を共有化した社会主義の惨めな失敗と、その後の私有財産制による資本主義がもたらした繁栄と豊かさを持って、400年近く経った今日でも私たちに非常に重要な経済的教訓を与えてくれる。

その事実はプリマス植民地の総督であったウィリアム・ブラッドフォードの回想録に基づき書かれたジェリー・バウワー著「資本主義者の感謝祭からの教訓」にもこう記されている。

最初の感謝祭は、社会主義と飢餓の時代を経て、豊かさを祝うものだった。

なぜならプリマスに辿り着いた清教徒たちがまず行ったのは財産の共同所有であったからだ。

彼らは農地を共同で耕作し、収穫を平等に分配することをルールとした。

しかしそれは上手くいかなかった。

男は他人の子供を養うために働く事を良しとせず、妻は他人の夫のために料理をすることを嫌がった。

多くの畑は耕すこともされず放置されたままになった。

そしてすぐに飢餓がやって来た。

飢餓の後に疫病がやって来た。

その結果、入植者の半分が命を落としてしまった。

だが彼らは他の社会主義者とは異なる点があった。

失敗から学ぶことが出来たのだ。

彼らは当時の貴族階級が推進していた国家主義的な思想を脱ぎ捨て、失敗を認め、農地を私有財産化し各自で管理させ自由に耕作させたのだ。

そしてその改革は彼らに富と繁栄をもたらすことになった。

以前は絶えず身体の不調を訴え、働くことを拒んでいた男たちは懸命に働くようになった。

入植者たちは積極的に先住民と交流を持つようになり、彼らからトウモロコシやカボチャなどの育て方を学んだ。

こうして沢山の収穫を得るようになった入植地は、さらに新しい入植者を迎え入れどんどんと繁栄していったのだ。

また、ラリー・リードが書いた「なぜ清教徒たちは財産の共同所有を放棄したのか」にもこう記されている。

プリマス入植後の最初の数年間は困難と飢えに満ちていた。

400年後の今、その悲劇は「私有財産がいかに重要か」を我々に教える重要な歴史的教訓となっている。

プリマス植民者たちは、社会主義体制の下で破滅へと向かっていたが、全く逆の方法を受け入れたことで自らを救ったことを忘れてはいけない。

プリマス植民地の初代総督であったウィリアム・ブラッドフォードの回顧録には、入植者の初期の取り決めについてこう書かれている。

土地は共有物であり、そこで収穫された作物は共同倉庫に運ばれ、均等に分配される。

このルールの下で彼らは2年の間、誰もが自分や家族の為ではなく、コミュニティの為に働いた。

当初彼らは、この社会主義の理想郷でずっと幸せに暮らせると思っていた。

しかしそうはならなかった。

この「共有財産」制度は、入植者の半数の命を奪ってしまったのだ。

ブラッドフォード総督の回顧録にはこう記されている。

最初はみんなが喜んで賛成した「収穫物の平等な分配」であったが、それをやった結果その収穫量はどんどん減っていくことになった。

怠け者たちは徐々に畑仕事に遅刻しサボるようになり、真面目に働く人たちはそれに憤慨し不満を溜めていった。

それはやがて争いを生み、争いは貧困を招き入れた。

状況は日増しに悪化し、飢餓と全滅の危機に直面したブラッドフォード総督は制度の変更に踏み切った。

彼は農地を分割し、それぞれに私有地として与え、農地の所有者には自分が望むものを栽培する自由を与え、収穫物は自由に消費、貯蔵または交換できるようにした。

こうして社会主義の失敗は、私有財産/資本主義の成功へと変貌したのだ。

同様に「感謝祭 – 巡礼者が社会主義と私有財産について知っていたこと(ジョン・ストッセル著)」にもこう書かれている

宗教迫害から逃れて新天地にやってきたプリマス植民者たちは、その思いと信仰心によって当初は強く団結していた。

そのため彼らは、新しい入植地をどのようなルールで管理するかについて話し合った末に、入植地全体を共有しみんなで一緒に働くという案を採用した。

いわゆる「社会主義」である。

しかしそれを行った結果、彼らは凄まじい飢えに直面してしまった。

彼らの「いつ、どれだけ植え、いつ収穫し、誰が仕事をするかをコミュニティ全体で決める」という集団農業は非効率で機能しなかったのだ。

「飢え」は深刻さを極め、やがて彼らはどうすればこのような惨めな思いをしなくて済むかを考え始めた。

そして彼らはひとつの答えに辿り着いた。

農地をいくつかの区画に分割し、各家族の私有財産として割り当てたのだ。

その改革で起こった結果を、ブラッドフォードは回顧録でこう記している。

「農地を私有地に変更しただけで、全員が勤勉になり共同所有の時よりもはるかに多くのトウモロコシが植えられ、収穫された」

「やがて彼らはたくさんの食べ物を手に入れ、原住民たちと食べ物を分け合えるようになった」

ジョン・ストッセルは、感謝祭で七面鳥を食べる前に、まず私有財産権に感謝すべきだと説明している。

なぜなら私有財産権は、社会主義制度によって飢えと死に至ったプリマス植民者たちの「共有財産の悲劇」から彼らを守り、今は我々を守っているからである。

財産権がなければ感謝祭は「飢餓の日」になっていただろう。


以上です。

日本では感謝祭はありませんが、11月は「税を考える週間」があります。

減税は個人の財産権を守る事です。

ぜひ「税を考える週間」を「財産権を考える週間」にして頂けたらと思います。

ちなみに記事に出てくるジョン・ストッセルという名を聞いて「あ、この人だ!」と思った人は七篠ひとりマニアに認定します笑

ということで、今日の記事はここまで。

今日紹介したコラムはこちらです。

https://www.aei.org/carpe-diem/thanksgiving-lessons-about-the-failures-of-socialism-and-the-success-of-private-property-and-capitalism/

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