日本のアンブレラスクーリング
ホームスクーリング・センターkokageでは、ホームスクールのスタイルとしてホームスクーリング、アンスクーリング、アンブレラスクーリングの3つを紹介しています。
今日は、日本版アンブレラスクーリングってこんな感じのことをいうんじゃないかな?と思っていることを書きます。
ホームスクーリング家庭のコミュニティ
ひとつめには、これが挙げられますが、必ずしも、ホームスクールをしている家庭だけが対象でないところが、日本版アンブレラスクーリングの特徴です。いわば、こどもの成長とまなびを親が学ぶ場所であり、親と子が共に過ごし、親は子から学び、親同士では子への働きかけの知恵を学び合う場ということになります。
自主保育グループではキョウダイ参加を歓迎するグループもあり、就学年齢児のきょうだいも一緒に活動している様子があります。ホームスクール家庭ではキョウダイ皆で活動する要求もあることから、このような場が望まれます。各地域の特色を生かした活動内容となることでしょう。
自主保育と区別される点は、自然体験活動を指導する有資格者の存在です。「森」という場所で安全に活動する知識を持った指導者がいることが心強く、幅広い知識を基に、体力作り、知恵を身につけることができる保育とこどもの成長の場として注目が集まっています。
「家庭でまなぶ」を共有する
例えば、どんぐり倶楽部です。
ホームスクール家庭が対象というわけではありません。学校に登校する家庭でももちろん広く活用されています。ホームスクール家庭に人気のどんぐり倶楽部ですが、その魅力とはどんなものなのでしょうか。
ひとつには学校の授業で教わることとは「なんだか違っているぞ?」というものです。
そう書かれたホームページをどうか探索してほしいと思います。
つなぎあい>ホームスクーリング教材のヒント~ホームスクーリング編~のページでは、家庭でまなぶスタイルのためにつくられたカリキュラムや教材を提供するサイトをいくつか紹介しています。
「水道方式/遠山啓」のキーワードはフレネ教育を実践しているフリースクール(下記リンク:ジャパンフレネ)から知りました。やはりその指導内容を共有する機会が設けられており、フリースクールにおける学習や家庭における学習内容としても注目されています。
kokageが考える日本版アンブレラスクーリング
kokageホームページ つなぎあい>コミュニティとサポートのページでは、アンブレラスクーリングについて書いています。近年のホームスクール家庭が集まるグループとその活動目的の別について触れています。
kokageが考える日本のアンブレラスクーリングの場は、前述したようにホームスクールをしている家庭のみを対象としているものとは限らず、すべての家庭が選び参加することができるいわば垣根の無い空間です。
あるものを活用する「いいとこどり」のホームスクール家庭にふさわしく、それぞれの家庭に合うスタイルにカスタマイズしていきます。同時に、より我が子ひとりひとりに合った適切な学習環境を取り入れようとする教育について深く考える家庭とも共通項が多いように見えます。いずれも既存の学校教育のスタイルにとらわれず、時代を見通した目を持ち、こどもたちの未来を思い描く親たちの姿が目に浮かびます。
親と子が共にまなぶ
フリースクールとの違いが見えるでしょうか。
フリースクール3種類と、近年みられるホームスクーリングのサポートの傾向を書いています。近年のそういった傾向から、ホームスクーリング教材のヒントとして、kokageでは「学校教育在宅学習編」と「ホームスクーリング編」に分けています。学校教育在宅学習編は、不登校からホームスクールのキーワードでたどりつく方に向けたものでもありますし、ふたつのページを用意することで、どのような過ごし方をするのかの家庭方針を定める必要があることを感じてほしいからです。
これとは別にアンブレラスクーリングについて記述しました。フリースクールは「学習者の活動」に焦点があてられており、ホームスクーリングのサポート傾向は「学習」にのみ焦点が当てられてます。前者は時に家庭にも学校にも居場所がないこどもたちの安息地になっています。アンブレラスクーリングの機会は、ホームスクールの大前提である家庭を基盤としていることに焦点があてられています。親と子が同じ空間にいながら、他の親子関係からまなびを得ることや、他者と時間を共有することで、我が子の一面を発見し、新たな気づきを得ることができる期待があります。
そのような機会が、低年齢層のみならず、就学年齢においても重要であることがもっと知られてよいように思います。就学すると、あたかも家庭教育の修了であるかのように思われがちです。しかし、家庭での役割は、こどもの成長とともに社会とのつながりをもつ架け橋でもあります。大人の目線、社会人の目線、先達者の目線から社会を語り継ぎ、未来の彼らが今なにを知り、なにを追求していくかの後押しをする安心と安全のある居場所が家庭というわけです。
そだちあい>ホームスクーラー(親)はなにをする?の図解のイメージからも伝わるといいなと思います。
思想と信念と選択肢と
ホームスクールをしたいとその魅力に惹かれている親でも、こどもの意向や環境により学校に登校することが最善だと選択することはもっともなことです。
note『日本のホームスクール』からスクールアットホームについての記述を一部抜粋します。
学校であれ、どこであれ、その価値観念が家庭において語られる機会が大いにあれば、どこにいても、誰といても、自分の信念を曲げずに持ちながら、周囲の環境とうまくつきあっていく方法を身につけていくことも可能なはずです。今現在、学校でうまくやっていけているこどもたちのなかには、良い意味で割り切れることができて、学校生活を楽しめている子もいることでしょう。より先の将来を見据えていたり、今、必要なことのためになにをすべきかが明確であったりすることで、それらは実現するのかもしれません。
こう考える理由は、学校にこどもが通ている家庭の親御さんとも、学校の先生とも、こどもの成長について・こどもの健全な環境について・こどもの健康について・こどもの学びについて…と語り合う機会が私にはあったからです。思いは同じ。その実感がゆるがない経験を持っているからです。
ほんのちょっと。それこそ偶然や「たまたま」といいたくなるくらいのほんのわずかなタイミングだったり、環境の違いだったりするのだと思うのです。こどもたちひとりひとりを取り巻く環境が違ってくるのは。
でも、誰もが信じているはずです。
こどもはみな、生まれも育ちも関係なく
しあわせになる権利がある
こどもが、「しあわせになれる」と思える社会じゃなくちゃ嘘だよねって。
複雑だと思える課題は多くふりかかってくることでしょう。でも、そんなときはシンプルなところにどうか戻ってみてください。
生まれたばかりの赤ん坊が誰であれ、感じる思い。
幸福に生きる以外の何がこの子に似合うというのだろう。
小さな手で握ろうとする。口をあけてなにかを発しようとする。
そんな赤ん坊から、奪えっていいものなんてなにもなくて、ただただ与えたいと心の底からわきおこった自分の優しい心。
与えられる「物」がなにも無いとふと思ってしまった時に、悲しみは襲ってくるものなのではないでしょうか。
我が子であっても、そうでなくても、「こどもたち」と共に過ごす街の暮らしを、どうか今日もたのしんでください。図書館に、博物館に、公園に、散歩道に、お店にも。思いを寄せるならば、きっとその姿を見つけることができるはずですから。
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デスクーリング~学校に行かないことへの罪悪感を拭って~
学校教育を選ぶ。オルタナティブ教育を選ぶ。その前に、学校教育信仰から脱し、新たに「教育とはなにか」「学びとはなにか」を問い直す。デ・スクー…
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