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私とおっぱい

陽性かもしれないと医者に言われた時、妊娠をしたことと同じくらい衝撃を受けた。私はHTLV-1のキャリアだと妊娠後の血液検査でわかった。簡単に説明するとHTLV-1は白血病の一種で潜伏期間は60年程度。発症率は5%以下。発症するとほぼ亡くなる。九州でのキャリア率が高いので少し前までは風土病のような扱いがされていた。主な感染経路は母乳。性感染もあるが少ない。そのため母乳育児をしなければほぼ子どもには感染しない。まれに生まれた時から感染していることもある。潜伏期間が長いため後天的に性感染した場合は先に寿命が来るので発症した例はない。

子どもをこれから産むのに、自分の死期について考えることになるとは思いもよらなかった。60歳だったら赤ちゃんは25歳ぐらいか。まあ大丈夫だな。55歳から夫と旅行しまくろうと冷静な私がいた。潜伏期間が60年なので70歳、80歳で発症するかもしれないし、そもそも発症しないかもしれない。聞いた夫は「死んじゃうの…?」と結構ショックを受けていた。いつか人は死ぬけれど、他の人よりも少し具体的に残りの寿命を意識する人生になった。これはこれで、良いことな気もする。

母乳育児にこだわりがなかったので、ミルクで育てることに抵抗はなかった。むしろ、夫が在宅仕事なのでミルクの方が二人で分担できて良いぐらいに思っていた。生まれた子は元気でミルクをよく飲んで日に日に育っていた。

産んで2週間くらい経ったある日、お風呂に入っている時、このままミルクで育てたら私のおっぱいはおっぱいとして使わないまま終わっちゃうんだなぁと急に頭の中に浮かんできた。今まで赤ちゃんのためにおっきくなったり、乳首が黒くなったりしたのに意味がなかったのかと鏡に映るおっぱいがなんだか不憫に思えてきた。一度ぐらい息子におっぱいを吸ってもらったらいいんだろうか?でも、出ないおっぱいを吸わせるのは私のエゴのような気がするしどうなんだろうとモヤモヤしながらお風呂を出た。翌日の夕方、ミルクをあげている時に夫が突然「おっぱい吸わせてみたらいいんじゃない」と言ってきた。え?エスパー?なんで私が考えていることがわかったんだろうとめちゃくちゃ驚いた。「そうなのかなぁ」と答えたら、「いいじゃん、機嫌悪い時とかおしゃぶりがわりに吸わせたらいいんじゃない?」とあっさり返してくる。その日は結局しなかったけど、ぐるぐる頭の中に残った。

また翌日、夕方夫がお風呂に入っている間にミルクをあげている時、一生懸命飲む息子を見て、とてつもなく悲しくなってきた。突然のことにびっくりした。母乳飲みたいのかなぁ、飲ましてあげられなくてごめんね。という気持ちになって、気づいたら泣いていた。ちょうど夫がお風呂から上がってきてその様子を見て、「え?え?どうしたの?」俺なんかしたか?という顔をして今までで一番慌てていた。「何があったの??」と聞かれるけど、男の夫に言ってもしょうがないというか、きっとこの気持ちはわからないしどうしようもない問題だからしばらく黙っていたんだけれど、焦り続ける夫がかわいそうになってきたので、「おっぱい飲ませてあげられないのかなしくなってきた」と言ったら、「そんなの全然悲しむことないじゃん。大丈夫だよ」と言われ、(そうなんだけどそうじゃないんだよなあと思いながら)「うん」と答えた。すると夫が「おっぱい吸わせてみなよ。おっぱいはあるんだし。母乳出ないから感染もしないし。」とまたあっさり提案してきた。やるなら提案してもらってる時にやる方が気が楽だと思ったのでやってみることにした。

ミルクを飲み終えた息子に乳首をあてがってみた。ぱくっと吸い付いた。すごい。ちゃんと咥えてる!かわいいと思った瞬間「いったー!!!無理無理無理!」と息子をおっぱいから引き剥がした。あまりの痛さに耐えられなかった。一気に現実だった。おっぱいあげられないもうしわけなさとか、センチメンタルな感じは吹っ飛んだ。それぐらいすごい吸引力でとにかく痛い。息子はぽかんとしている。世の中の母は出産を終えた後こんな痛い思いをして母乳をあげているのか?とてつもなく大変やないかという気持ちでいっぱいになった。よくある母が子におっぱいをあげているふんわりとした優しい絵は激痛でできているのだ。ふんわりに行き着くまでどれぐらいかかるんだろう…確実に苦行だ。それをみていた夫は「わははは」と笑って、「そんなに痛いんだ、大変だね〜」と他人事。「もう一回やったら?」と聞いてくるので「もうやらん。」と言ってそのまま。私のおっぱいはおしゃぶりがわりに使うこともなく、3ヶ月経とうとしている。今はおっぱいを見てかなしく思うことも息子にもうしわけなく思うこともない。前より少し大きいただの私のおっぱいだ。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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