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備忘録

自分がゼロから描いたり作ったりしたものを『作品』ではなく、『自分の手から作ったもん』という呼び方や認識に明確に切り替えてから
元々自分の中にあったものがようやく檻から解放された感覚が凄い…。

何を作ったって描いたって良い。作風だって一つじゃなくって良い。元々いろんなの作ってたんだから。
極端に言えば、生きてるだけで良い。何も作らなくったって良い。そんなシンプルなことなのに、『展示できる様な作品にしなきゃ』という思い込みや気負いが無意識にどこかで働いていたのかもしれない。
自らの首を絞めていた気がする。

呼び方や単語?名詞?って、説明するにはとても便利な場合があるけれど、逆に安易にざっくり使っちゃうと、どんどん微妙な意味合いの違いが露わになって違和感に苦しみ、うっかりそれに縛られちゃうことがあるから本当に気を付けて使っていきたい。

『ふと思い立って手を動かしてこんなの作ってみましたよ』的な方がグッとよい物になるのはわかってはいたけれど。
理由は明確で
それが全く気負っていないからであって、他者に認めてもらうためのものでもないし、無意識に自分が手を動かしてしまう衝動の様な、自動的に導かれてる様な不思議な流れになるからだった。

今更ながらこのタイミングで気付く。…遅っ。

あらゆる意味で器用にならずに生きようって思う。そうしかできないし。それでいいと思う。

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