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空っぽの感覚

note、ご無沙汰しております。
何かを発信する時って言語化して目に見える状態にしておく必要がありますが、
言葉や文章で表現/説明するには、今の私には少々難しい内面の変化が起こっていて、
どう伝えたら良いやら考えあぐねていたのです。
結局良い答えも出ぬままもう2024年、3月も半ば。

とにかく考える事を一旦放り投げて宙に浮かせて空っぽになっている状況です。
(夏休みの宿題の様にギリギリまで重い腰を上げられなかった確定申告は無事終えました。ホッ😌)

正確に言葉にできるかは自信がないのですが、
少し言葉にしてみようと思い、筆をとっています。伝わると良いのですが。わかりづらいかもしれませんが、そこはご了承下さい。まだ言葉にできないところが殆どなので。

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先ず、根本的なところで
今、“私がいちばんやっていきたいこと”という価値観が今までとは大きく変化していて、
これしかない!と思っていたことが実はそうでもないのかも?
もっと原始的というか、生き物としてシンプルにピュアに生きて良いんじゃなかろうか?という考えに至っています。

そのシンプルで単純なことだけれどとっても大切で深いところのエッセンスの様なものが、もう少しで指先で触れられそうなところまで来ている様なのです。(多分)

ただ、それには力づくで手を伸ばして届く物ではなく、自分が整った時、来たる時期に向こうから自然とやって来る様なので焦っても意味がない。
余計な思考回路は無くして、ひたすら純粋無垢・空っぽにしておく必要がある様です。

一瞬、「こんなんで大丈夫なのか?」という不安がひょいと顔を出すこともあるのですが、「今やっておくのは焦って何かをすることではないからね」とエゴ的な小さな自分に語ったり。大抵それで落ち着くので、ありがたいことに不安や心配に苛まれることはありません。

時が満ちれば自然と物事や自分も動く。
操縦しようとしない。
受け身ともちょっと違う。
良きタイミングをキャッチできる様に感覚を良い状態に整えている、というのが近いかもしれません。
大切なのは常にいつでも柔軟でピュアな空っぽな状態。
今まで積み重ねたことは例え全部無くしたとしても全然構わない。むしろチャンスかもしれない。
そのくらいの心の状態です。

一見何にもしていない様に見えるかも、とは思うのですが、この時期の過ごし方がいちばん繊細で大切なフェーズだと感じているので。
自分のセンサーを信じて行こうと思ってます。

静かに温かい水に揺蕩ってプカプカ浮いています。
今はそんば感じ。

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