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離陸(してる)

はじまった

2週間目の授業を終えました。2科目4講ずつ。
まだ加速し始めた瞬間だからという気はするのですが、今のところ心身健康です。
正確には、先週金曜と今週月曜は元気が減ってたのですが今日くらいから持ち直してきた気がする。

人生で一番学ぶことを楽しんでいる気がする

あー自分は、勉強好きだったんだということを30歳(なんてこった)になってはっきりと自覚し、楽しめていることが本当にめでたい。別に今までも、学ぶこと、身につけることへの関心は高い方だと思っていたけど、「勉強が楽しくて好き」とは言葉にできなかった。
好き宣言を邪魔していたのは、「『勉強家』と比較した劣等感」「できなさを苦しさと捉える拒否感」によるものが大きかった気がする。

比較による劣等感なんて人類史で何億回触れられたか分からないトピックだが、自分もご多分に漏れず、自分だけ特別このせいで苦しんでいるような心象風景で生きていた(る)。
だって、皆すごい。受験勉強のときは、同じ参考書を完璧にするまで3周、4周と解く。自分よりも早くから遅くまで自習室にこもる。そして点数を出す。大学に入ったら、朝起きてから夜寝るまで、仕事や人と合う時間以外は常に何かを読んだり書いたり考えたりしながら、自分の頭の中を豊かにしている。
ここでいう、「皆」は、自分が憧憬、親愛する10−20人くらいの特定個人の生活を妄想したものである。この「皆」がマジョリティではないことなんて分かっていても、自分はそういう人たちで自分の世界をつくりたかったし、同時に自分自身には彼ら彼女らと同じ熱量をかけて読み書き発信することはなかったことがいたたまれなかったし、できないと思っていた(る)。

加えて、勉強に熱中すればするほど、わからない瞬間が気持ち悪くて、もどかしくて、忘れることも解決することも、棚に上げることもできなくて消化不良な感覚になるのが嫌だった。純粋に胸のざわざわする感覚がプチトラウマである。
一方、ざわざわしない情報も世の中には沢山ある。そうして私はこの10年近くWEB漫画とか、記事とか「スムーズな別のもの」に時間を使った。私はそれらがスムーズなあまり、登場人物の名前も忘れ続け、そして刺激が足りなくて更に別の漫画を漁り続ける負のスパイラルに陥ってたんじゃないかと思う。

今も劣等感はある。マンガは移動中の電車で読んでる。だけじゃなくて家でも読んでしまう。
だけど私は勉強が好きだ、と自然に思うのは、授業や予習を通じて、学ぶことそれ自体の良さ、楽しさを感じられているからだと思う。
(逆に大学院でこれらを感じられていなければ、勉強は好きでないことに自信をもてただろう)
ざわざわを活きるのは快適ではないけど、希望を感じられる。低気圧で心身落ち込んでるけど、飛行は続けたいな。


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