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『人生は選択の連続』と言うけれど。

昨日、数カ月ぶり通算4回目くらいのドライブに行ってきました。そんなときにふと思った話を書きます。

突然ではありますが、『人生は選択の連続』と言われることがままあると思います。ちょっと胡散臭い話な感じもありますが、経済学的に考えても人間はあらゆる判断に基づき日々の行動を決定しているとしているところがあります。

毎朝何を着るかや何を食べるといった何気ないことから、どのように仕事をしていくのか、はたまた週末はどこに遊びに行くかなど、ありとあらゆることを決めているわけです(今回は熊本・阿蘇)。その意味ではその選択が今の自分を形成していると言うことはできなくもない。

さて、ドライブ中に何を思ったというと、ドライブって自分が影響力を持ったときにどう意思決定をするかを手軽に試せる瞬間だなと、運転しながら思いました。

朝ごはんを何を食べるか何を選んでも他者や周辺にはほぼ影響がありませんし、日々の選択は大きく自分の人生や他者、ひいては社会に対して影響を与えることは多くはないでしょう。

しかし、ドライブ中はちょっとハンドル操作を間違えれば死ぬこともできるし、誰かに外傷を与えることもできてしまいます。他人や自分の人生に絶大は変化をもたらしかねないし、それは本当にささやかな選択により実現されてしまいます。

それってマネジメントや経営にも似ているところがあるのでは、という気がしたのです。自分の細かな選択が被管理者や組織そのものの命運を大きく左右します。力を持ったからこそ、選択の影響範囲が個人のみの選択に比べて大きくなる。そんなことをある種擬似的に体験できる瞬間でもあるような。

そんなことをドライブ中に感じていたわけです。自分の人生を劇的に悪くする選択肢なんてその辺にいくらでも落ちているし、アクセルをおもむろに踏み込んでみたりハンドルをキュッと切ってみれば簡単に実現できてしまうようです。

それに比べて自分の人生を劇的に良くする選択肢というのはその辺に落ちているのだろうか。感覚的にはあまりあるようには見えないですが、ドライブ中みたいに悪いものではなく良いものもその辺にあったりしないのだろうか。意味がなさそうでも実は絶大な意味を自分や他人、社会にもたらす選択肢もあるのかもしれない。

そんなことを白川水源の駐車場でぼーっと考えていました。

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