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毎回選評で言われる欠点に悩んでいたときの、姉からの言葉

『公募ガイド』を教科書にして、小説を書いては応募していた頃。おかげさまで文章については、選評で毎回「読みやすい」「リズムが良い」といった高い評価をいただくようになった。

しかし残念ながら、毎回低い評価をつけられる項目もある。簡単に言うと、「意外性がない」ということ。
読みやすく読後感も良い。しかし想定の範囲内のストーリー展開。もっとどんでん返しがほしい――などなど。

どの作品も、どの応募先でも、大体同じことを言われる。ということはご指摘のとおり、私の小説の長所は「文章力」であり、短所は「ストーリー展開が弱い」で間違いないのだろう。

ファイリングしていた、『公募ガイド』の作家養成のコーナーを読み漁っていると、どんでん返しを磨きたいならこの小説を読んで参考にせよという記述を発見。早速本を購入し、勉強したが、やはり一朝一夕にはいかない。

苦悩する私とは逆に、湯水の如くアイディアが湧いてくるのが私の姉である。だがよくよく聞けば、どうやらそれは姉が生み出したアイディアではなく、子供の頃から大量に読んできたミステリー小説などの「ありそうな展開」のようだ。

読書量と、読む本のジャンルの違いが、姉と私の性質を分けたな、と思った。

「浅く広く」読む姉に対して、私は「狭く深く」。気に入ると同じ本ばかり繰り返し読んだ。その中にミステリー小説はあまり含まれていない。私が好んで読んできたものは、時代小説やファンタジー小説。そして、「読後感の良いもの」。

自分でもそういう物語を書きたいと思ってきたから、選評で「読後感は良いが――」と言われたことはむしろ本望である。

だが指摘された欠点を直さない限り、壁は越えられない。一次選考は大体突破できた。運が良ければ二次も突破したが、大抵は二次で落ちる。

短編は(なぜか)わりと評価が良く、あるときは入選して雑誌に全文掲載。またあるときは、落選しつつも選評で褒められた。
どちらも私が苦手としていたストーリー部分について、いつもより評価が高かった。

しかし選評を読むと、「そこを褒める……?」と首を傾げたくなる。まったく意図しない部分を評価されるので、正直、選考委員のツボがわからない。
多分、私自身の性格がちょっと他の人と違っていて、それがたまたま選考委員にはおもしろかったのだろう、と理解した。

その後も応募は続け、そしてもがき続けた。
短編だけに絞った方がいいだろうか。もしかして応募先の出版社とカラーが合っていないのだろうか――
欠点を克服できないままなので、どこへ応募しても相変わらずストーリー展開の弱さを指摘され続けた。

そのうちに私の意欲が落ちてくる。
今の時代、どこの出版社も「どんでん返し」や「意外性」ばかり求めているんだ。私の好きな、やさしい物語は求められていないんだ、と。

毎年必ず小説応募することを自分に課してきた私だったが、
「……私、小説応募するの、ちょっと休もうかな」
ついに、姉へ休止宣言。

「今後はマイペースに書いて、エブリスタで公開するだけ〜とか、そんな感じにしようかな……」
「いいと思うよ」
「……意外とあっさりだね」
「だってさ、何年応募してきたの?」
「……小説は10年くらいかな。エッセイとかはもっと前からやってるけど」
「10年間、ずーっと落選してきたんでしょ?」
「ずーっと落選してきましたよ」

10年が長いか短いかはわからない。その中で時々何かしらの賞をいただいたこともあるが、大賞は取ったことがない。
思えば中学・高校とバレー部だったが、そちらも準優勝ばかりで、優勝したことはなかった。
本気で打ち込んできたが、小説もバレーも、突き抜けきることはできなかった。

「毎回長い時間と情熱をかけて書き上げて、それで落とされるんでしょ? そりゃ普通、落ち込むよ。休んだっていいと思うよ。てか、よく10年も続けられるよ。私は無理だよ」
「ちょ、優しくしないで(笑)」

まさか慰められるとは思わなかった。
ありがとう。
だけどね、私なんか読書数も足りないし、書いてきた小説の数だって少ない。
まだまだ未熟なんだよ。

でも姉に言われて自覚した。
私、思いのほか落ち込んでいたのかもしれない。

当時はメンタルと夫婦生活が限界を迎えていた時期。小説を書くことは私の癒しになったが、大切に書き上げた作品に「落選」の烙印を押され、それに耐えるというパワーは、もうなかったのだろう。「次頑張るぞー! 待ってろよ選考委員ー!」という気力は、もう湧いてこなかった。

「あなたが得意とするのは、ハリウッド映画のような全米が泣いたとかではなく。町の小さな映画館に一人で見に来た女性の明日を豊かにしてくれるものだと思うの」

――姉は、客観的に分析する能力に長けていると思う。私は姉のこれを、よく頼りにしていた。

「あなたが一人飲みをしていて楽しかったのは、小さなお店でいつも顔を合わせる常連さんや隣になった人と言葉を交わして、少しずつ交流を深めたから楽しかったのではないか? 大人数のパリピの中にウェーイって入って、ウェーイカンパーイってするのとはわけが違う」

仙台で一人暮らしをしていた二十代の頃。私に行きつけの店ができ、週末によく通っていた。小さなお店だったが、隠れ家のような閉鎖的な空間が、私にはとても心地良かった。
逆に「大人数でウェーイ」は、ちょっと私の性に合わないというか、かえって孤独を感じそうな気がする。

「街の小さな映画館か……」
やっぱり姉の分析力は、頼りになるし、励みになる。

「それもいいかもな。街の小さな映画館」
励みにするだけじゃなく、「強味」にもしたい。

欠点だと思っていたものが、欠点ではなかったと思えるように。



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