【小説】雪鬼女狩りの村(四)骸
「吉兵衛、あれはなんだ」
村の集会所らしき建屋と、広場。
その広場の中央には何かを燃やした大きな跡があった。
その場所だけ雪が溶け、地面がのぞいている。
「雨乞いでもあるまい。何を燃やしたのだ?」
炭と化した木材、大きく円形に広がる黒いスス。
単なる焚き火にしては少々派手である。
「雪鬼女だ」
「何?」
「雪鬼女と思われる女子がいるとな、この村では生きたまま火炙りにするんだ」
影親は絶句して吉兵衛を見た。
「厄払いの儀式だ。よそから来た旦那にはまぁ、珍しいことかも知んねぇな。俺らみてぇな雪の深い土地に住む奴らはよ、そのくらい雪が鬱陶しいものなんだ。あの圧迫感、重圧感。雪が珍しい土地では楽しいもんかも知んねぇが、俺らにはそんなおめでたいもんじゃねえんだよ」
「いや、それは……そうであろう。しかしだからと言って、生きた者をそのまま火炙りとは……何故そこまでするのだ」
影親の胸の奥に、うっすらと渦が巻き始めていた。
――何かが違う。
「旦那から見りゃ俺たち村の者の方がよっぽど鬼のようか」
吉兵衛がにやりと笑った。
「この村では毎年必ず雪で命を落とす奴がいる。俺だって……」
一瞬の間が空く。
「一人娘を雪で亡くした」
にやりと笑ったままの顔で吉兵衛は言った。
「十一の年だった。俺の仕事に着いて来てなぁ。急に吹雪になりやがって、山ん中ではぐれちまった。一晩中探しても見付からなかったのによ、次の日になったらあっさり見付かりやがった。冷たくなってな。旦那、死んだ人間に触れたことがあるかい? あんな冷たいもん触ったのは初めてだ。どんな雪よりも氷よりも、冷たくなるんだなぁ死んだ人間ってのはよ」
影親の一歩前を、吉兵衛は歩く。
「実に、不愉快な感触だ」
影親は相槌一つ打たず黙って聞いていた。
表情は見えないが、先ほどまでのにやり顔でないことは前を行く吉兵衛の顔の輪郭から読み取れた。頬の肉が下がったまま全く動かない。
「それまでは雪鬼女なんて全く鼻にもかけなかったんだがな。娘が雪にさらわれてから憎ったらしくてしょうがねぇ」
振り返った吉兵衛は鬼の形相で言葉を吐き捨て、その目は怪しくギラギラと光を放った。
「あいつは雪鬼女にさらわれたんだ、雪鬼女に殺されたんだってな。わざと自分に言い聞かせているのかも知れねぇが。……楽なんだよ。雪鬼女のせいにするのがな。やり場がないよりは、雪鬼女のせいにしてこの恨みつらみを吐き出す方がよ。ずっと、楽なんだ」
「しかし……」
胸の中で違和感の渦が大きくなっている。
それが影親に苦渋の表情を作らせる。
何かが違うのだ。
影親の価値観と、この村で当たり前のように起こっていることが。
それが風習として根付いてしまっていることへも危機感が募る。
「俺だけじゃねぇ。みんなそういうことの一つ二つ抱えて生きている。だからこの村の者は雪が憎くて仕方がねぇのよ」
「しかし!」
影親の語気が、怒りを帯びて荒ぶった。
吉兵衛が足を止め、好戦的な顔で見返す。
影親は大きく呼吸し、息を整えた。
「その捕らえられた雪鬼女は本当に誰かの命を奪ったのか? 濡れ衣で焼かれた者もおるのではないのか? 何か証があってそのような残虐な振る舞いをしているのか?」
落ち着きを払ったつもりであったがやはり感情が言葉に表れてしまう。影親には珍しいことだった。
「旦那」
影親を見やっていた吉兵衛は、そのまま目をそらさず、へっと笑った。
「あんた珍しいお人だなぁ」
「珍しい?」
「化け物の肩を持ってらぁ」
「化け物……」
吉兵衛が再び歩き始める。
影親の中で、違和感の渦が大きく大きくうねっていた。
化け物――
吉兵衛が言ったその言葉が引っかかる。
「カマキリの卵がなぁ」
ふと吉兵衛が思い出したように口を開いた。
「知っているか? カマキリってのはなぁ、不思議なことにその冬にどんだけ雪が降るか知ってるんだ。だからカマキリの卵が産み付けられている高さまでは、雪は絶対降らねぇんだ」
吉兵衛の言うカマキリの卵とは、卵鞘のことである。茶色の柔らかな塊で、その中に卵をいくつも産みつけられる。
「その卵がなぁ、もう何年も高い位置で見かけるんだ。そんで違えることなく大雪が降っている。カマキリが我が子のために必死で高い場所を探すくらいの大雪がな」
影親は感情をあまり乗せないように曖昧な相槌をうった。
山に分け入ってしばらく進むと、道から外れてやや奥まったところに何かが捨てられていた。
赤黒い物体。
それが何かすぐにはわからず影親が見入っていると、吉兵衛がそっけなく言い放った。
「ありゃ雪鬼女の残骸だ」
「え?」
目を凝らして見ると、赤黒い物体は確かに人の形をしているようにも見えた。表面は真っ黒に焦げていたが、運ばれた時に崩れたのだろう、所々真っ赤な人肉がのぞいている。
まだ新しい死骸のようだが、獣に喰い荒らされた跡が見られた。その下にはもはや原型を留めていない古い死骸が、雪の中から見え隠れしていた。
「雪鬼女……なのか? 本当に」
察するに割りと頻繁に死骸が捨てられているのだろう。獣も食うに困らないと見えて、喰い残しが目立つ。
「雪鬼女じゃねえよ」
低い声で吉兵衛が言い放った。
「ありゃ普通の村娘だ。間違いなくな」
「何故わかる?」
「雪鬼女ってのはな、死体が残らないんだ」
低く、声をひそめて話す。
辺りには二人が雪を踏む、ザク、ザク、という音が響いた。
「まぁ俺も実際に見たわけじゃねえが、雪鬼女は死ぬと雪煙となって姿を消すらしい。だから死体は残らないのさ」
「じゃああそこに捨てられているのは……」
「濡れ衣着せられて火炙りされた哀れな娘達よ」
赤黒い死骸の中から何かが鈍い光を発した。ススまみれになって歪んではいるが、恐らくかんざしであろう。
「……狂っている」
気がつけば眉間にしわを寄せ、露骨に不愉快な顔で吐き捨てていた。
「旦那、そういうことをあまり大きな声で言わない方が身のためだな。ここでは皆、三沢様に逆らえないんだ」
「三沢様、とは?」
「この村の肝煎だ」
肝煎とは庄屋や名主のことで、年貢や村の自治を司っている。この村では三沢という老年の男が、絶対的な権力で村を牛耳っていた。
「その三沢様が火炙りをさせているのか。なんのために」
「雪が止まないからだ。疑わしい娘は雪鬼女として火炙りに処す。雪が止めば万々歳。死体が残った者はああやって山に捨てる。いずれ獣に食われて死体は残らねぇ。火炙りにされたのは雪鬼女でなくてはならねぇ。三沢様も村の者も正義でいられる。誰が悪いとかじゃねぇんだ。雪が悪いのさ」
嫌悪感に我慢しきれず、影親は唾を吐いた。
「何故村の者達は黙って従っている」
影親も声をひそめていたが、その声音には怒りが滲んでいた。
「逆らえば自分も殺される。娘を差し出せと言われて逆らった奴もいたさ。だが、そいつも一緒に火炙りにされた」
「何故……」
「三沢様には力がある。俺らには力がない。それだけだ。皆、生きていくのに必死なんだ」
「長い物に巻かれるか」
「なんとでも言え。余計な感情は殺して、賢く生きなきゃならん。従っていればこの不作続きでもなんとか食わせてもらえる。跡取り息子を死なせるよりは、娘が雪鬼女と思われた方が口減らしにもなるしな」
相槌は打たない。
同意する気も納得する気もない。
「……俺んとこの娘はまだ、まともな死に方か」
吉兵衛が問いかけるでもなく独り言でもなく、つぶやいた。影親は先ほどとは別の意味で相槌を打たなかった。
しばらくの間二人は無言で歩き続けた。
雪を踏む音だけが辺りに響く。
ふと、いつもの声に戻って吉兵衛が口を開いた。
「弥平のとこの嫁……」
「……なつめ殿のことか?」
吉兵衛の方を見やる。
何を考えているのか、黙っている。
「……どうかしたのか?」
吉兵衛は邪が取り付いたように陰鬱な顔をしていた。
「あの母子、器量が並外れてると思わねぇか?」
ドクン、と鼓動が高鳴った。
「確かにどちらも美しい容姿だが。それがどうした」
まさか……
「なつめは雪鬼女なのか、ガキは雪鬼女の血を引いているのか……。まぁそんなことは俺にはどうでもいいことだがな」
高鳴る鼓動が治まらない。
「三沢様はどう思うかな」
吉兵衛の目がギラリと光った気がした。
獲物を見つけた肉食の獣の目。
「あぁ、雪鬼女の血は娘にしか受け継がれないんだったな。あのガキは色気があるが一応男だから関係ねぇか」
吉兵衛は一人つぶやき、影親の反応を見るでもなくまた黙々と歩き続けた。
――取り憑かれている。
そう思わせるだけの凄みが、吉兵衛を取り巻いていた。
狂気が見え隠れするこの村で、なつめと真之介親子に雪鬼女の疑いが掛けられる。それはすなわち、命の危険を表していた。
次回
雪鬼女狩りの村 第五話 八年前