将来、新聞をどうするか
新聞の優れた点は、やはり情報の一覧性だろう。その反面困った点と言えば、処分する手間と、広げると大きすぎる点だろうか。冊子くらいの大きさで、あんなに広げずに読むことができるなら、持ち歩くことにも親近感が湧くのだけど。
近頃、新聞についてちょっと考えている。具体的には、「将来、私ひとりになったら、新聞をやめるべきか?」ということ。新聞を毎日熟読しているのは、母だけなのである。
だけど、新聞をやめることについて、正直かなり迷ってもいる。テレビ欄しか見ていないくせに何を悩むのかというと、新聞は他の用途で大変重宝するからだ。
草燃やしや薪ストーブの焚き付けに抜群だし。窓拭きにも使えるし。こぼした飲み物や愛犬たちの粗相など、多めの液体を吸わせることにも大変お世話になっている。
最近ではゴミ箱としても重宝している。我が家でも感染予防のため、手洗い後にペーパータオルを使うようになったし、レジ袋の有料化も相まって、新聞紙でゴミ箱を作り、これに紙類をポイポイ入れることにしたのだ。そして満杯になったら焚き付けに。
「でもそれは新聞紙じゃなくてもいいでしょ」
母に言われてそれも一理あると思いつつ、やはり新聞紙の用途の広さは手放しがたい。
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近頃は「読む」ことについて新聞とちょっと向き合っている。本来読み物である新聞サマに向かって、読むことは二の次みたいな言い方をして大変恐縮なのだが。
ニュースの仕入れ先は、目下のところテレビとスマホ。だけどネットニュースやお昼の民放など、正直ちょっと辟易している。ネットは誤字が多いし、信憑性も疑わしい。テレビはダラダラ長いししつこい。そうなる原因としては、放送時間が長すぎることにあると思う。もうちょっとコンパクトな番組にすれば収まりがいい気がする。ネットニュースは逆に、回転が速すぎるから誤字が出やすいのだろう。
こうなると、新聞の良さが目についてくる。無駄口たたいてないし、誤字脱字もほとんどない。おもしろ半分には情報を扱っていないから、テレビやネットに比べて不愉快要素ははるかに少ない。
スマホ画面に並ぶニュースの見出しを見るなら、新聞の見出しを眺める方がいいような気がしてきた。
それに母と毎日雑談していて気づいたこと。スマホで情報を仕入れている私と、新聞熟読者の母。情報量も早さも、そんな大差ないのである。
記者会見のライブ配信や地震速報などでは、もちろんネットが勝利する。だけど新聞は毎朝届くから、私がちょっとボーっとしているだけで母に追いつかれるどころか、抜かれていくのである。
それにしても毎日あれだけの情報を用意する新聞って、すごい。それを毎日熟読する母も。
その目が読み取る情報は、政治や医療、岩手出身の雄星・大谷だけじゃなく、読者投稿欄にも及ぶ。
「この人、久しぶりだなあ。文章上手いんだよなあ。そういや最近、あの人見てないなあ。書いてないのかなあ。書いてるけどボツになってんのかなあ」
私も過去に何度か新聞へ投稿した身ではあるが、こんなに読み込んでいる人がいるとは思わなかった。
世界情勢や国家のことから、地元読者の私生活まで。母は私よりも世の中を知っている。私ももう少し、新聞と向き合うことにしてみようか。
今日も母は、朝食後にコーヒーを嗜みながら、優雅に新聞をめくっている。
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