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「運勢最高列車」が来てるのに、切符を手にすることができなかった冬

石井ゆかりさんの『3年の星占い』が好きで、2021-2023版と、『星栞 2021年の星占い』を購入してじっくり読んでみたのだが、今回の牡牛座さんの持ち上げようがまあすごい。どんだけ輝く年なんだと、戦々恐々、恐悦至極である。

すごく良い運勢だと言われると、私のイメージとしては、その時期に「運勢最高列車」がホームに現れる感じ。しっかり支度をして――つまり努力をした上で「運勢最高列車」に飛び乗らなければならない。せっかく「運勢最高列車」が現れても、なんの支度もせず切符を手にしなければ、列車は私をおいて走り出してしまう。

だから「運勢最高列車」が来るよと言われると、夢を叶えるため、そこに向かって努力を始める。――今までの私だったら。

  *

何年か前に中華街で手相や生年月日を見てもらったときに、「努力の10年にいる」「41歳で飛躍のための決断」というようなことを言われ、毎年手帳にそのことを書いて意識していた。41歳のときにそれまでの努力が実るのだろうから、じゃあ実ってほしいことの努力をせねば、と。

当時の夢は、小説を書いて食べていくことだった。だからそのための努力を私なりにやり続けた。

小説の勉強をして、書いて、毎年必ず文学賞への応募もしてきた。そのうちに努力が実って小説家デビューして、「41歳で飛躍のための決断」というのはもしかして東京に引っ越そうとか考えるのかな、でも小説家なら地方でも仕事できるよね、じゃあ専業作家になるかを決断するのかな、いやいや専業ではやっぱり生活が難しいだろう、などと幸せな悩みを思い描いていた。

待ちに待った41歳。運命の激流とも呼べる力強い流れに背中を押され、私は結婚生活13年に終止符を打った。小説家としての決断ではなかったが、活動しやすい実家に戻ったことも「飛躍」に繋がるのだろうと期待した。

独身になったことの事後処理に駆け回り、それまでエブリスタで書き続けていた嫁生活エッセイを完結させ、さあこれからは好きなだけ小説を書こうかというところで――なぜか失速。

鏡リュウジ氏の『牡牛座の君へ』にはこうある。
――牡牛座のあなたは楽園を手に入れてしまうと、そこに腰を落ち着けてしまって、守ること、現状維持に必死になる。

人生の大勝負に疲れ果てたのか、楽園で腰を落ち着けてしまったのか。小説を書くことにすら疑問のような気持ちが湧いて、書く手が止まった。

そんな状態で年を越し、冬の間、書かないことへの自己嫌悪に陥りながらすごした。まったく書かないわけではない。書いたものの、しっくりこないのだ。人生が変わったから、書くものも変化しようとしているのかもしれない。

理由はどうあれ、私は「運勢最高列車」へは乗れなかった。

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幸いにも、春になって急にスイッチが「陽」に転じた。きっかけは、noteをもう一度やってみたい、という気持ちが芽生えたこと。前に小説発表の場としてやってはみたものの、当時は編集機能がしっくりこなかったこともあり、小説とは相性が悪いと判断。

今回は小説ではなく、日記のような、長めのつぶやきのようなもの。Twitterの140字は私には短すぎて、言いたいことも身を切るような思いで削ってきた。だからnoteはちょうどいい。思いの丈を、小説より短く、Twitterよりのびのびと綴ることができる。

正直、今の私は小説との親和性が低い。年を重ねたせいか、今までの若い年代の主人公やテーマでは書く気がしない。私の中で一区切りついたのだと思う。今後は三、四十代を書きたいと思ってはいるが、今はnoteという別空間で心情を吐露している方が親和性が高い気がする。

noteの画面は私の好きな真っ白だし。ガチャガチャした広告やランキングがないから静かだし。基本的に読み物の街だから、通り魔みたいなつぶやきを目にすることもないし。「みんなのフォトギャラリー」の画像はきれいだし。心地良い。

noteも、私の新しい楽園だ。

そして後になって気づいたが、春から気持ちが軽くなることは『星栞』にしっかり書いてあった。

「毎日投稿」は8日ほどで途切れてしまった。父の救急搬送、他界、葬儀、その後私が何度かダウンしたこともあり、毎日にはこだわらず、体調を重視したから。牡牛座さんはとにかく体調を整えないとダメだから。無理はしない。

今のところ、投稿頻度は1〜3日に一度といったところだろうか。鈍行にはなってしまったが、春の列車にはなんとか切符を手にして乗れたようだ。このペースは守るようにして、振り落とされないように心がけたい。


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