マガジンのカバー画像

牡牛座として生きてゆく

32
牡牛座として生きていくと決めた私の、有事の選択や、これからのライフスタイル。五感に長けた牡牛座としての生態や、お気に入りの物をしつこく愛でる習性についてなど。
運営しているクリエイター

#ライフスタイル

牡牛座として生きてゆく

選択肢の中から、どれかひとつを選ばなければならないとき。理屈的に正しそうなものと、なんとなく気になるもの。どちらを選ぶべきか、いつも迷って動けなくなる。 何年か前、たまたま手に取った鏡リュウジさんの著書『牡牛座の君へ』の中に、その答えはあった。他にも人生で迷いがちないくつかのことに、指針と染みるような心地良い言葉が添えられている。 この本と出会ってから私は牡牛座として生きてゆこうと決め、『牡牛座の君へ』は聖典となった。   * ブッダ、アドラー、ポジティブ、感謝、日頃

「風の時代」の牡牛座の反乱

高校時代の、ある夏のお昼どき。同級生の女の子3人が、お弁当にそうめんを持ってきてすすっていた。 それぞれがそうめん弁当を持ってきたということではない。麺担当、麺つゆ担当、薬味担当、と役割分担をして持ってきたのだ。誰が言い出したか知らないが、おもしろい発想である。 以前放送された『サラメシ』でも、似たような光景があった。どこかの市場のお昼ごはん。お肉屋さんとお向かいの青果店が、毎日肉と野菜を持ち寄ってまかないを作り、一緒に食べていた。 なんか、いいなあ、と思った。   

父の最期に関わる選択と、コロナ禍での葬儀に他県の姉を呼ぶか否かの問題について、誰の気持ちで答えを出したか

今回もまた、前回と同じ理由で有料とさせていただきました。とても個人的なことで、表へ出しっぱなしにすると傷口がヒリヒリと痛みそうなこと。私たち家族にとって、とてもつらく、大切な出来事となったことです。 今回の内容は、父の最期に関わる選択――延命治療についてを問われたときのこと。それから、コロナ患者数が急増中の大都市圏に住む、姉や叔父叔母たちをどうすべきかという問題について。父の危篤時、そして葬儀に、姉たちを呼ぶべきか否か。 何が正解かわからない問題の答えを、私たち家族は、時

有料
1,000

心底迷ったとき、牡牛座であることを思い出して適切な判断を下す

家族が救急搬送された。私はこれまで入退院が多かったから慣れているつもりではいたが、家族が、となると別らしく。いつもの家事をしながらも 「いつもどおり……いつもどおりに……」 と終始自分に言い聞かせていたあたりは、やはり私もパニックに陥っていたと思う。 その日は疲労と不安で頭痛がひどく、食欲もなかった。noteへの投稿は朝に済ませていたから、その点だけはホッとした。 この時点で、完成している下書きのストックは、あと1つ。明日はもっと忙しくなるかもしれない。そしたら書けない。

嫌いなラッキーカラーの手帳ですごした年

二十代のとき、「来年の手帳はラッキーカラーにしよう」と決めたことがある。 長く付き合った彼との別れがあり、新しい出会いには恵まれたものの、元彼との関係を超えるものには育たず。アットホームだった職場も、統合して大きくなったら人間関係がおかしくなり、なんだか体の調子も良くないような……と、心身ともに変動があった時期だった。 そういう弱った心のときに、少しでも好転してほしいと願って占いに頼るのはありがちな流れである。 調べたところ、私にとっての来年のラッキーカラーはどうやら青。し

安定の好きなものか、気になるあっちか

一個ずつ種類の違うお菓子を、家族で分け合おうとして思い出す。以前勤めていた職場で、同じように一個ずつ種類の違うお菓子の差し入れがあったときのことを。 こいうとき当時の職場のルールは、「早い者勝ち」。少人数のアットホームな職場だったので、上司も先輩も新米も関係なく、どのお菓子を食べようかと箱の中をのぞき込む。 私の頭の中では、見てすぐに「これにしよう」と候補が決まっていた。前に食べたことがあったし、好みの味だし、間違いなく及第点に届く。大きな失敗がないことは確実だ。 しか