マガジンのカバー画像

一話完結小説/創作日記

21
一話完結小説の本棚。創作活動についてや、作品にまつわる話も。
運営しているクリエイター

#日記

嫌なことを知って、進むべき道を知る

書いて稼ぎたい、という欲というか志というかが強く芽生えていた頃。親友の協力もあり、自分で本を作って、即売会や地元商店街のイベントへ参加したり、店舗で委託販売をしてもらったりと、戸惑いながらも活動の幅を広げていった。 それはとても楽しく、興奮することであったが、良いことばかりでもなかった。幸いにも悪意を持った行為を受けたことはなく、むしろ皆さん好意的で、協力者に恵まれたと言える。 それでも私の中で、「なんか……なんか嫌だなぁ……」と感じたことがいくつかあった。少しでも多くの

【創作日記】久々の小説執筆で思い出す

先日、エブリスタで久々に小説を投稿した。 『川村景子のおつとめ転々日記』という一話完結の短い話。 大昔に書いた『短編集サクラサク』の中に「Eの改造」という話があるのだが、その主人公の名前が川村景子である。 以前からこの川村景子の物語をあらためて書こうと思っていた。 ――が、しかし。 名前になんのひねりもなかったので、名前を変えて別人の物語にしようかとも考えていた。 ちなみに「川村景子」という名前は、当時そのへんに置きっぱなしにしていた年賀状に川村という名字があったこと

夢中で書いたものほど、書いたときの記憶がない

私の記憶では、初めて書いた小説はたしか、20代中頃か後半だったと思う。 子供の頃、「将来なるなら、マンガ家か小説家のどっちかだなぁ」などとえらそうに思っていて、「絵描き期」と「物書き期」を交互に繰り返していた。とはいえ、どちらかというと「絵描き期」の方が多く、専門学校でPhotoshopに出会ってからはさらに加速した。 だから小説家への憧れはあったものの、学生の頃、実際に小説を書き上げたという記憶はなかった。 ――という話をしたとき、同郷の親友であり、「和楽風天」の相方

三度目の転職は「仕事を愛したい」

私の一番最初の就職先は生協。カタログ制作を専属で5年ほど務めたが、体を壊し、立ち上がることさえままならなくなった。思えばこのとき、その後長く付き合うことになる顕微鏡的多発血管炎を発症したのだろう。 岩手にUターンして、しばし療養。最初の転職先は保育園。保育士の資格は持っていないので、補助として勤め、なんとか無事に契約期間をまっとうすることができた。 保育園勤めは楽しかったが、次の職場は大人相手がいい、とも思った。自分が思っていることを園児たちにもわかるよう変換して話す日々