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普通に生きたかったけど、統合失調症になった話

久々の投稿である。

いつのまにか月日は流れ
時は2025年7月1日【月曜日】

僕は26歳になってしまった。
そして統合失調症になった。

統合失調症とは

統合失調症とは、自分のこころや考え、行動などをうまくまとめることができなくなる病気のこと。

と書いてあった。

まさにこの通りである。

発病は19歳の時だった。

人間関係で失敗した僕は、
その影響で統合失調症になった。

最初は動悸がした。なんかわからないけど、
脈を打つように【ドックン、ドックン】
耳まで伝わるような動悸に襲われた。

それからは色々な病院に通った、
変な機械をつけて数値を測って
寝たこともあった。

結局、病院の検査では原因はわからなかった。

何日かして、眠れない夜が数日続いた。
眠れないとは本当に恐ろしいことだ。
後々、その辛さを味わうことになった。

眠れなくなって3〜4日たった頃、
僕はその頃は健在であった母親にこういった記憶がある。

【なんか死にそう】

その時、人間とは自分の死期は自分で
わかるものだと体感した。

それから俺は寝てないせいで頭が狂い始めて
時間の感覚がなくなった。

あれはまさにこの世から除外されたと感じた。

時計の針を見ても針が読めない。頭が回ってないから身体はだるいし。朝昼晩の感覚がない。
本当に恐ろしい状況だった。

俺は【全てを投げ捨てて死にたくなった】
だから自殺未遂を2〜3回繰り返した。

気づいたら俺は川にいた。
川といっても成人男性が埋まって
溺れるくらいの川だった。

そこで俺は一度川に飛び込んだ

あー俺の人生もこれで終わりか、、、、、



と思ったら、死ねないのである。

あれはまさに不思議体験だった。

身体の機能が正常に動かなくなっていたため、
飲み込んだ川の水が、尿道を通ってすぐに出てしまう。飲み込んだ川の水が胃を通って尿道から出ていく感じが永遠に繰り返される。

溺死できないのであった。

俺はすでに身体は限界を突破していたため、
溺死は諦めて、川から道路へ這い上がった。

近くの工場を工事してたおじさんにどうしたって
言われたけど、なんて答えたか覚えてない。

この頃、俺は自殺すると決めていたので、
家には帰ってなくて、行方不明届を家族が出していた。これは後から知った。

そして川付近をずっと行ったりきたりしていた。

で、2回目また川に飛び込もうとしていたところを近くの中学校の女子生徒に目撃されて、先生を呼びに行って、警察に通報された。


そして俺は一緒に来た消防隊員に引っ張りあげられて、事情聴取のため、パトカーへ乗り込むのであった。

警察官が僕に質問した。
【名前は?】

僕は渋々フルネームで答えた。
【〇〇です】

そしたら僕の写真が出てきた。
その時に、行方不明届が出されてたんだなと悟った。

それからパトカーに乗って、
一度警察署の留置所みたいなところに一日保護されて、
家にも連絡が届いて両親がやってきた。

しかし、俺は次の日、警察官の人と一緒に
精神病院へ向かわされた。

すでに俺の状態がおかしかったからか精神病院だと思われたんだと思う。

それから俺は県の知事の命令という書類にサインをさせられて、措置入院となった。

セカンドピニオンみたいな感じで
二つ目の病院で措置入院となった。

これがまた地獄の始まりで、そこは閉鎖病棟であった。

そこで俺は猿みたいに監禁された。
【※治療のため刺激をシャットアウトするため】

とにかく薬をいっぱい飲まされた。
合う薬が見つかるまでいっぱい試された。
副作用が本当にきつかった。
本当に本当にきつかった。

書き忘れていたが、
統合失調症は幻聴や幻覚を起こすこともある。
当時の俺は幻聴や幻覚に襲われていた。

病室では意味のわからない行動もとっていた。

約1ヶ月半の入院生活だった。
本当に恐ろしく辛い経験だった。

でも今生きているのは、
治療や助けてくれた人たの支え、
そして僕の頑張りがあったからである。

本当にみんなありがとう。感謝してます!!

それから俺は退院して仕事に復帰して、
2年くらい頑張ったけど

音楽がやりたいとか言い出して、会社を辞めた。
実質、休職を1年くらいしていたが、在籍は5年だった。

その後1ヶ月、23歳になる手前くらいで

体の体調が良くなってきたと勘違いして、精神薬と睡眠薬を飲んでいたが、精神薬【安定剤】を1ヶ月断薬した。

これは本当に愚かな行為だった。

統合失調症の人が薬を断薬するのは、
本当にやってはいけない行為の一つだ。
再発するリスクが圧倒的に上がる。
だから薬は断薬しちゃダメだ。

そして、起こるべくして幻聴や幻覚が起こった。

、、、再入院。
これも本当に苦しくて辛い入院だった。
前回同様、保護室というところに監禁状態だった。

さらに、コロナ禍だったため、家族の面会も
ほぼできなくて、すごく孤独だった。

そしてその入院で【統合失調症】と診断された。

そして統合失調症になった僕はもう薬と一生を共にしなければならない。これは22歳だった僕には本当に受けれがたい事実だった。

あまりにも神様は試練を多くくださる。

母親が亡くなってまだ傷も癒えてなかったのに、
そんなことまで重なって、不運としか言いようがない。

俺は思った。
【もう全てを受け入れて前に進むしかない】

というか、そうやって乗り越えるしかないと思った。

時に現実は非情だ。
泣いても泣いても泣いても何も変わらなかった。
ただ心の痛みだけが残った。

入院中何度も泣いた。
そして俺は気づいた。

泣いたって何も変わらないってことに。

もう自分がその経験を受け入れて、

少しづつ前に進んでいくしかない。

少しずつ強くなっていくしかない。

それしかないんだと。


今は、統合失調症の症状と闘いながら生きている。

もちろん薬もしっかり飲んで、
しっかり食べてしっかり寝ている。

統合失調症の怖いところは再発するたびに、
前にできたことができなくなっていくことだ。

現に今も1時間や2時間くらいしか集中して物事に取り組むことができない。

再発する前は週5 8時間で働けていたのに、だ。

今は、B型作業所を目指して日々頑張っている。

なんで俺はこうなってしまったんだろうと何度も思う。しかしそんなの無意味だ。

現実は今だ。今が全てだ。
今の僕が僕である。

もうすぐで27歳になるが
これからも1日1日日々を生き抜くだけだ。

長くなってしまったが、以上が僕が
統合失調症になった話である。


終わり。読んでくれてthank you❗️

ps 今は音楽が生きる支えとなっています。

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