見出し画像

シンエヴァ徒然草3

2を見返すと誤字脱字や言葉のチョイスがあやしい箇所がかなりありますねぇ。しかし、推敲なり校正なりしてると多分鮮度が落ちるというか、煮詰まっちゃうというか上手くいかない気がしてしまうレベルか段階なのでつらつらと徒然なるままに3。

ゲンドウのメガネ、といったらよく光ってますね…みたいな印象なんではなかろうか。メガネがギラリと光って眼が描かれず、どんな眼をしているのかわからない。眼が描写されている時はだいたい目の下にクマができてて不機嫌そうな顔をしている、と。

しかし、実はその印象ってのはテレビアニメ版のゲンドウであって、劇場版の序・破だと意外とメガネは光っておらず、よく見ると目の下のクマも昔ほどではないような気がしなくもない。(だから新劇場版からエヴァを見始めた人たちと前世紀からエヴァを見ている人とで彼、ゲンドウ君に対する印象が全然違うのかもな、と。)

で、これはフィルムのアナログ作画環境からPCのデジタル作画環境に時代が移行した事で、表現可能となったメガネの透明度調整がゲンドウくんの変化をもたらしたんじゃねーかな、と。

フィルムだと基本不透明絵具によって彩色された面を重ねてレイヤーでしか表現できないため、メガネへの映り込みや反射光の強弱は非常に難しい。フィルムによるアナログのいわゆるアニメ撮影だと表現の幅はその時点で非常に限定的だ。(※1)

ではデジタル制作だとどうかって言えばごらんのとおりでして。アナログ作画だとビカリと強く光って見えなかった碇司令の瞳が、デジタル作画だと映り込みの風景越しになんだか物憂げなゲンドウくんの瞳がしっかりと描かれている、と。

雑に言ってしまえば、時代が進んで技術も進歩して旧劇場版と新劇場版で表現できるものが全くガラリと変わってしまった結果といえる。(※2)
んでまぁ、そこも非常にテーマに関係してくるというか起因というかイマジナリーとリアリティーのなんちゃらに大きく影響を与えていますよね、と。

だいぶとっ散らかってまいりました。
まぁ新劇場版とシンエヴァはテレビアニメ版から時代が変わって見えてきたものを新たに改めて表現するというのが作品のわかりやすい主軸ではあるけど、根底のベースには技術的進化がもたらされて技術的に光をあてられなかったものに光をあてて表現し得るものを貪欲に取り入れていくクリエイター魂の自負があると思うんですよね。

とりあえずこの辺で〆。

(※1:それに対する抵抗としての旧劇の画面いっぱいに広がったシンジくんの顔の画像がゆらゆらと効果のかかったモノになってたりしたのでは。フィルムそのものを水に浸してゆらめく画像を得る。アニメに収まらない表現欲求、特殊撮影への希求というか。話が逸れた。)
(※2:もっと言ってしまえば序と破、Qの間でもデジタル作画は大きく技術的に進歩しているし、時代も想像以上に…大きく変わった。)

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,197件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?