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揖保川の恵み。龍野醤油はなぜ色が薄いのか??

前回書いた龍力創成期の中に、カネヰ醤油さんから清酒製造権利を譲っていただいたと書きました。

なぜ、醤油屋さんが清酒製造権利を持っていたのか?
実は、龍野の醤油屋さんは、もともと造り酒屋だったのです。

龍野は、日本酒を多く生産する地でした。
記録には、1673年には大小合わせて79軒の蔵があったとあります。
しかし、1715年には45軒に減っています。龍野の酒造業の衰退が始まりました。

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この頃、兵庫県西宮灘の蔵元が台頭してきました。
灘のお酒は、蔵が港近くにあり、すぐに出荷でき、
品質も良かった為、人気もあり、大生産地へと成長していきました。

一方、龍野の酒造家たちは悩みました。
龍野で造ったお酒は揖保川を下り、網干の港まで出てそれから船に乗ります。
時間もかかります。そして一番大きな問題が水なのです。

龍野の酒造家が使う水は、揖保川の伏流水です。水はカルシウムなどの含有量によって軟水・硬水に分けられます。揖保川の伏流水はカルシウムなどの18-35ppmとカルシウムが少ない軟水傾向にあり、酒酵母を育てる栄養が少なく、長期もろみになりやすく、もろみが腐ったりして品質の低下を招いていました。(硬水は短期もろみになりやすい。)

「このままではだめだ」と酒屋の道具を使い、新しいことができないかと試行錯誤しました。
そうしたところ、気付いたのです。
「赤穂には上質の塩・播州平野のお米や麦が、そして龍野近隣には上質の大豆があるではないか、それに酒屋の道具があわされば醤油ができる」
そして、醤油製造が始まりました。
するとどうでしょう。龍野の醤油は、瞬く間に大ブレークしたのです。

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揖保川の伏流水は、軟水だと先ほど書きましたが他にも特徴があったのです。
それは他の地域より、鉄分が少ない水だったのです。
醤油製造に塩を使っても鉄分がほとんどない為、鉄分が酸化せず、醤油の色が濃くならない。

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濃口醤油にならないのです。原料や製法に特別な工夫をせずとも、淡口醤油ができる地場だったのです。


龍野藩主の脇坂安宅がバックアップしたこともあり、京阪神を中心に需要が増えました。とくに京都の料理人が喜んだのが、素材の色そのままに味わいをつける事ができる。関西の淡口醤油の食文化を形成しました。
醤油に色がつかず、天然の淡口醤油が生産できるのは、全国でも龍野だけ。

こういった経緯により、醤油屋が清酒製造権利を持っており、メイン事業が醤油になったから、龍力㈱本田商店が醤油屋さんより清酒製造免許を譲っていただくことになりました。

次は、この話の灘の蔵元の部分をちょっと詳しく書いていきたいと思います。


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