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HACCPなんてやめちまえ(その5)-いぶりがっこの悲劇


読売新聞の記事から

秋田名産「いぶりがっこ」ピンチ、農家4割「続けられない」…作業場改修に100万円
2022/01/15 23:05 読売新聞オンライン
 大根漬けをいぶした秋田名産「いぶりがっこ」が、ピンチに陥っている。きっかけは昨年6月に施行された、漬物販売に保健所の許可が必要になる改正食品衛生法。秋田では農作業小屋や台所で製造する農家が多く、許可を得るには作業場などを改修しなければならないためだ。「漬物作りをやめる人が増えるのでは」と生産農家らに動揺が広がっている。
 「いよいよ引退の潮時か」――。約20年前から農作業小屋でいぶりがっこを製造してきた横手市山内土渕の農業の女性(73)は、ため息をついた。
 改正法では、漬物製造者は水道設備を手洗い用と製造用に分けたり、住居と作業場を切り離したりするなどして、保健所の営業許可を得なければならない。
 女性の農作業小屋の改修見積もりは約100万円。「大金を掛けてまで続けられない」と嘆く。
 いぶりがっこの一大産地の横手市では、漬物生産者の平均年齢が70歳を超え、そのほとんどに後継者がいない。市いぶりがっこ活性化協議会の佐藤健一会長(65)は「この機に引退を考える農家は多い。担い手不足が一気に加速する」と危機感をあらわにする。県が昨年7〜9月、県内の漬物生産者約300人に実施した意向調査では「漬物作りを継続できない」との声が約4割に上った。
 野沢菜漬けの長野県や奈良漬の奈良県など、漬物産地がある自治体の多くは条例による届け出制などをとっていて、法改正による大きな混乱は伝えられていない。一方、秋田県は「漬物の食中毒は把握していない」などとして、条例による規制などはなかった。
 生産現場は対応に追われている。大館市の農産物直売所は共同作業場の新設を検討する。県は改修費や助成金の交付を目指す。横手市も独自の助成金を支給し、農家の相談窓口を設ける。同市食農推進課の担当者は「秋田の漬物文化を何としても守っていきたい」と力を込める。

前章で述べた通り、2018年の食品衛生法改正で、漬物が国の許可制となり、製造にあたって製造施設など細かい規則に従わざるを得なくなりました。今までは国の許可は必要ではなく、各自治体ごとの対応で良かったのです。いぶりがっこの生産地である秋田県は、漬物に対して特に許可を求めていませんでした。農家の軒先等で細々と生産していたいぶりがっこであるけれども、許可制となれば国の規制通りに施設を整えなければならず、そのための設備投資の負担が重く、生産をあきらめざるを得ない、という記事です。

2018年改正の食品衛生法ですが、いぶりがっこの問題は今回の改正で問題となりました。改正の目玉のもう一つはHACCPの「制度化」です。いぶりがっことHACCPの「制度化」この二つは表裏一体であり、俯瞰することによって、HACCP「制度化」をすることの意味が見えてきます。

いぶりがっことは

いぶりがっこ(出典:農林水産省Webサイト

いぶりがっこは秋田県名産であり、燻製干しのたくあん漬けです。たくあんを燻製するということで、食品安全を考えた場合、二重のプロテクトを施した優秀な保存食であると言えます。

以下はいぶりがっこの主な生産地である秋田県横手市の市議会の議事録から。

◎佐々木健悦農林部次長
 今、山内地区のいぶりがっこでございますけれども、(中略)特に道の駅では、山内のいぶりがっこというのはそれぞれ作り手によって、味、食感、それが違っていると。生産者を選んで買っていく方もいらっしゃいますし、あるいはいろんな生産者のいぶりがっこを買って、食べ比べを楽しまれているという方もいらっしゃいます。そういったいろんな味があるというのが山内の食文化であり、それが特徴の一つだというふうに考えております。
 山内地域のいぶりがっこにつきましては、女性や高齢者の生きがいでありますとか、そういった部分もありますので、地域活性化の一つに貢献している部分があると思いますので、市といたしましては、もちろん県のほうと連携しながら、また農林部だけでなくて、これは地域課題でもございますので、山内地域局でありますとか、あとは商工観光部などとも連携しながら、寄り添った対応をしてまいりたいというふうに考えております。

横手市 令和3年12月定例会(第8回)12月08日-04号

秋田県全体の共有財産としてその名称を守るため、国のGI認証、地理的表示保護制度を受け、ブランド価値の向上を行なっていると言います。つまり地域活性化のエコシステムの一つとして成立していたわけです。

漬物が許可制になった背景

なぜ漬物の生産が国の許可が必要となったのでしょうか。それは過去の食中毒事件が影響しています。

2012年8月、札幌市を中心に高齢者関連施設など 18か所で、腸管出血性大腸菌O-157 による食中毒が発生し、患者135名(認定患者 128名、有症者7名)のうち7名が死亡するという重大事故です。原因は札幌市の岩井食品が製造販売した「白菜きりづけ」であることが判明しました。以下国立感染症研究所のWEBサイトから引用します。

白菜浅漬による腸管出血性大腸菌O157食中毒事例について-札幌市(IASR Vol. 34 p. 126: 2013年5月号)

 2012年8月、札幌市を中心として白菜浅漬による腸管出血性大腸菌O157:H7 (VT1&2 、以下O157)食中毒が発生したのでその概要を報告する。
 1.事件の概要
 2012年8月7日、札幌市内の医療機関より「高齢者施設Aの入所者7名が下痢、腹痛などの症状を呈している」との連絡があった。
 調査の結果、札幌市管轄高齢者施設6カ所、北海道管轄高齢者施設5カ所において同様の症状を呈する入所者がいることが判明した。これら11施設には札幌市内のB食品が製造した「白菜きりづけ」(消費期限2012.8.2~8.4)が共通食として提供されていた。そこで、有症者便と「白菜きりづけ」保存品の細菌検査を実施したところ、共通してO157が検出された。これにより「白菜きりづけ」を原因食品、O157を病因物質とする食中毒であると断定した。当該食品は高齢者施設以外に北海道内のホテル、飲食店、食品スーパーなどへ広く流通していたため、患者は札幌市を中心に広範囲な地域で発生し、最終的に食中毒認定患者数は169名となった。食中毒認定患者数の内訳を表1(略、筆者注)に示す。(以下略)

白菜浅漬による腸管出血性大腸菌O157食中毒事例について-札幌市
国立感染症研究所(IASR Vol. 34 p. 126: 2013年5月号)

ちなみにこの食品会社は清算され、廃業となっています。この事件が行政にインパクトを与えたのは確かで、死亡事故を起こした白菜浅漬に関して規制がないということは問題だと国は判断したのでしょう、漬物製造業を営業許可制にしようと動きが出てきます。

腸管出血性大腸菌とは

腸管出血性大腸菌(食品安全委員会ウェブサイトより)

 大腸菌とは食品衛生法の定義によれば、「食品別の規格基準について C食品一般の保存基準」として「グラム陰性の無芽胞性の棹かん菌であって、乳糖を分解して酸とガスを生ずるすべての好気性または通性けん気性の菌を言う」とあります。

 腸内細菌として大腸内で最も多い共生細菌です。大腸菌と一括りにしても非常に多くの株が存在し、そのほとんどは無害でありますが、中には食中毒を引き起こす有毒な大腸菌も存在します。今回の札幌の食中毒の原因となったような、腸管出血性大腸菌(別名志賀毒性産生菌、STEC)があります。感染すると腹部のけいれん、下痢などを引き起こすが、通常10日程度でほとんど完治しますが、まれに溶血性尿毒症症候群(HUS)を引き起こし、死に至るケースもある、という恐ろしい菌です。

そもそも営業許可って何?

例えば自家製のアイスクリームを作って売ろうと考えたとしましょう。その場合はアイスクリーム類製造製造業として届けないといけません。当然届けただけではだめで、アイスクリーム製造に適した衛生的な設備で作られているか保健所の人の確認を受けなければならないです。喫茶店を始めようと思ったら喫茶店営業として、営業許可を取らなくてはなりません。許可を取るためには必要な書類を地元の保健所に提出し、保健所職員の設備の検査を経て許可を得ることになります。

このような業種は細分化され、全部で34種類ありました。この分類は昭和47年以降見直しが行われておらず、食品産業の現状に合っていないと言う問題意識が国側にあったようです。そのために業種の整理統合を行ないたいと考えていました。

法改正に関して「有識者」は何を話し合ったのか

国、というかお役人の考えを法改正に落とし込むための一つの「儀式」として有識者による検討会が実施されるようです。五十君東京農業大学教授を座長に12名の有識者、厚労省食品基準審査課長を始めとする5名の事務局から構成された「食品の営業規制に関する検討会」が2018年8月1日から2019年4月24日まで計16回開かれています。

 第2回の検討会において、事務局側が提出した資料(営業許可制度の論点について(案))という資料があり、これらの問題点が提案されます。

3. 条例許可対象となっている業種について、許可対象業種とするか(既存業種への統合を含む)−−− 漬物製造業 、水産加工業、菓子種製造業、そうざい半製品製造業、液卵製造、殻付き卵取扱業など(太字筆者) 

(案)がついていたり、「許可対象業種とするか」と疑問形だったり、一応議論の叩き台としての形を取っているものの、検討会の流れを見る限り、漬物製造に関しては、条例許可業種(自治体での対応のみ)から許可業種(国への許可が必要)とすることが既定の事実であるかのように議論は進みます。

漬物と言っても色々ある、という議論

検討会での発言から。

○加藤委員
 漬物で問題なのは、浅漬けが北海道で大問題ですけれども、大体、浅漬けというのは漬物ではなくて、むしろサラダですから、発酵あるいは漬物とサラダは全く別だと思うのです。
 HACCPの管理でも全く別に扱っています。それで、浅漬けの場合には、原料野菜の洗浄とか、味液の安全確認とか、温度管理、それから、賞味期間の管理、こういったのがとても重要になってくるのです。

北海道で死亡事故を起こした白菜のきり漬けのような「浅漬け」といぶりがっこのようないわゆる「ふる漬け」はHACCPの管理上全く別物であり、漬物というカテゴリーに一括りにしていいのか? という問題提起です。

ここで浅漬けはサラダに近いと言っていますが、イメージとしてはスーパーで売られているカット野菜に近いと思われます。アメリカのロメインレタスの死亡例もあるように、カット野菜は汚染されやすく、非調理のまま食べられることが多いため、食品安全上注意しなければならない危険な食品とされています。

じつはこのあたりは自治体はわかっていて、キメ細やかな対応をしていました。例えば東京都の対応について。

〇中村(重)委員
(前略)漬物製造業でございますけれども、(許可が必要とされるのは)塩づけ及びぬかづけ以外の漬物という形になってございます。何でこれを抜いているかということなのですが、いわゆる青果店(八百屋さん)での店頭で伝統的にこういうぬかづけとか塩づけをつくられて販売しているという実態がありまして。そういう小規模なものについては許可から除くと。実は、こうした小規模な営業は報告営業の届出のほうに置いているという形なります。

最近は八百屋さんそのものを見かけなくなったしまいましたが、確かに昔の八百屋さんの軒下で漬物が売られていました。子供の頃、店先に漂う糠の匂いを今でも思い出します。

そのようなふる漬けはそもそも食品安全上問題が少ないとして、許可から除外し届出のみでよい、としていたのが東京都の対応です。これはいぶりがっこに対して特に許可を求めなかった秋田県の対応と同じです。

以上、様々な意見があったのにも関わらず、自治体で行なっていたような漬物の種類ごとのていねいな対応は行わず、漬物製造業というひとくくりで営業許可が必要な業種とされてしまうわけです。

推論-どうして漬物がひとくくりにされてしまったのか

 営業業種の見直しの目的の一つとして、なるべく業種の数を減らして効率化したいという意図があったようです。例えばスーパーマーケットのように、一つの事業所で複数の営業許可を取らなければいけないという煩雑さがありました。そのようなモーメントがある一方で、死亡事故を起した漬物に関しては新たな規制を加えなければならないというモーメントがありました。

この二つの逆方向のモーメントの妥協点として、食品安全という観点から言うと幅広い分類が考えられる漬物というジャンルを一括りにして許可業種としてしまったのではないかと推論しています。そしてその妥協点の皺寄せがいぶりがっこのような食品に直撃したのです。

ただ法改正により改編されたはずの営業許可の改編ですが、改正前が34業種あったものが32業種と、それほどの整理されたとも思えず、要許可業種と要許可業種以外という従来のカテゴリーに加えて、要届出業種という新しいカテゴリーが加えられ、従来より複雑でわかりにくくなった感じもします。

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