立ちションが生む30秒の孤立世界
「立ちション」
それは男性が尿意を我慢できずにトイレではない場所、例えば路上や草むらなどで小便をする行為だが、人生で一回は経験するものなのだろうか。
ただ普通に外で小便するのも立ちションだが、ここでは尿意が我慢できずに仕方なくする、の意味で使う。
さらに女性でもあるのだろうか。私はないと思うが。
それはさておき、私はしたことがある。皆経験したことがあると仮定しているので文章で打っていて羞恥心はない。
だが立ちションは見られたくないのだ。決して。
まずトイレ以外の場所でするという事に背徳感を感じる。そんな瞬間を他人に見られるわけにはいかない。
一通り終わるまで平均して約30秒くらいだろうか。
つまり30秒の間、「世界に一人」を願っているのだ。
よくよく考えてみると「立ちション」という行為がなかなか面白い。
まずは先ほど述べた背徳感。トイレ以外の場所ですることに対してだ。
そして、限界まで我慢していたものを解き放つのだから極上の解放感があるだろう。
そこに誰かに見られるのではないかという緊張感。
さらにその瞬間は世界に一人を願うことにより、30秒間は現実世界との乖離が生じるのではないだろうか。これは快感だ。夢心地と言われるやつだろうか。
主にこの3つが30秒に詰まっている。「立ちション」って実はすごい行為なのでは??
勿論、慣れはよくない。
この4つの感情を殺してしまうからだ。
人生で一回やるかやらないか、十年で一回するかしないか、それくらいの頻度で実行してこそ極上の30秒が得られると私は思う。
しかもやる気も持ってはいけない。
十年間立ちションを行っていなくても、「十年我慢したから今日は立ちションをするぞ!」と意気込んではいけないのだ。
そうなると運が絡む。基本的に尿意がくるとトイレに行くので、まず尿意が限界となるケースが少ない。さらに近くにトイレがない状況でないといけない。
こう考えると立ちションという行為がとても希少価値が高いことが分かる。
決して立ちションしている人を見ても素通りするようにしたい。
その人の極上の時間を邪魔してしまうのだから。
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