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ネトゲの沼にハマった人間の駄弁

僕が小学2年生の頃。何の前触れもなく6畳の子供部屋に薄ベージュ色のごっついのが現れた。当時の家はかなり手狭だったので、そこしかスペースが無かったらしい。パーソナルコンピューター様のお出ましである。思い返すともう20年前の事になる。

それはもう興味津々でゲーム好きだった僕はゲーム機同然に目を輝かせておパソコンを見ていた。この当時のスペックや見た目を鑑みると、PCと略すのはおこがましいとさえ感じる。今回はあえてパソコンという表記で貫かせていただこう。

じいちゃんの家でワープロは見かけたことがあったが、どうやらそれとは違う模様だった。フロッピーディスクも無いらしい。そんなパソコンを母がさくさくと使ってネットサーフィンやヤフオクをしていた。どこで習ったのか今でも不思議である。見ているうちにどんどん興味が湧き、タイピング方法を母に教えてもらった。基本的な文字構成や配置だけ学び、あとはタイピング練習ソフト(キーボード配置を模したモグラをひたすらシバくゲーム)にドハマりしてしまうのであった。この時代のおかげで12歳の時にはブラインドタッチも出来るようになっていた。何事も鍛錬が大事なのである。

中でもWindows定番のピンボールにはお世話になった。無料でこんなゲームができてしまうのか!パソコンってすげえな!と感動したものである。『最近の小学生はスマホ持ってるのかよ…』とやっかむ大人も居るが、時代に適応しているのだから何の問題もないと思う。視力の低下だけ気を付けてくれよな。僕みたいに両目とも0.01以下の人間になってしまうから。

暗黒時代の始まり

そして僕のパソコン史、というか人生の大きな影響を与えた転校生がいた。小5の時に転校してきた清水くん。今では全く疎遠で連絡先も知らず、何しているのかさえ不明。でもそんな彼が僕の文化圏に持ってきたのは『ハンゲーム』、そうオンラインゲームである。

仲良くなって家にお邪魔した際に魅せられたソレは革命であった。当時はゲームボーイアドバンス(GBA)を持って、通信ケーブルを持ってるブルジョアの友達の家でロックマンエグゼをよくしたものである。そして電池が切れたときは蓋を開けて執拗に擦りまくるのだ。このならわしってどこから生まれたんでしょうね?そんなオフラインな交流しか無いと思っていたのに、家にいながら友達とゲームができちゃうのか!?という感動は今でも鮮明に覚えている。僕の暗黒のネトゲーマー時代の幕開けであった。

しかし1つ大きな問題があった。うちのパソコンのスペックがゲーム環境に到底追い付いていないのである。某MMORPGをプレイするとユーザーが多いマップや挙動が大きいアクションをするキャラがいると、たちまち画面が固まってしまうのである。せっかくの醍醐味である友人との共同プレイも思うようにいかず、結局過疎サーバーを選んでソロプレイをする道を行ったのであった。

そして痺れを切らした僕(13歳)は両親にパソコンの買い替えを直談判。目的はもうゲームをしたいだけ。ゲーム機をねだるのと何ら変わらなかっただろう。それを経て無事にパソコンがWindows XPにバージョンアップ。モニターも薄型でなんだか現代的だ。スペックが上がってネトゲ快適になり、ますますネトゲにのめり込む。よくこんな息子を許してくれたと思う。

Into the 沼

高校生の時がネトゲ最盛期だったのだが、悲しくも『Skype』を知ってしまう。その頃には上述の清水くんとはほぼ疎遠気味になっていたので、ネトゲ内で知り合ったユーザーと通話しながらプレイするようになった。これもまた両親からしたら不安がる要素だのに、あんまりとやかく言われなかった。話しながらプレイできる楽しさのあまり、毎日深夜3時までネトゲに没頭していたのだ。リビングに配置されているという大きな課題だけを残して…。

そんなこんなで高3になった。ネトゲが忙しいから受験勉強や部活など当然しているわけもない。流石に両親も大学には行かせねばという使命感のもと、小さなバトルが繰り広げられていた。ギターをかじっていたからそういう芸術系の専門学校にでも行くわと宣言していたが、そんな才能も無いので止めてもらって正解だった。そうしてこんな体たらくの僕に天罰が下る。パソコンがぶっ壊れたのである。

きっと原因は使い過ぎなんだろうけど、理解が追い付かなかった。「日課のイベントクエストどうしよう…」とか思っている場合ではないのだ。どうにかしてネカフェに行ってみるもバイトもしていない高校生の財政では継続利用も出来ず、泣く泣く受験勉強に励むハメになってしまった。

第一志望ではないが無事大学にも受かり、ようやくバイトを始めた。目的はもちろん自分の部屋にマイパソコンを設置するためである。二十歳手前の男が家族のいるリビングでネトゲに従事するのは意外ときついものである。パソコン工房でスペックを積みに積んだ最高PCの完成である。この時代にはもうパソコンではなくPCなのである。

そして終焉へ

しかしPCを買った途端にネトゲ熱が冷めはじめた。周りの大学生がキャンパスライフを謳歌している中で、4年間ずっとバイトしてネトゲをしているだけなのか…?と客観的に物事を捉えた瞬間にネトゲ熱は放熱された。終わりのないコンテンツでひたすら自己研鑽を重ねた先に待っているものが虚空なのである。カネにもならないし、自慢にもならない。大会に出るような柄でもないし将来性が無かったのである。こうして約10年の暗黒時代は幕を閉じる。

びっくりするぐらい膨大な時間を費やして得たものは商売力とタイピングスキルとPC知識ぐらいである。

ネトゲ内の経済に突然興味が湧いた瞬間があった。ゲームバランスによってアイテム相場が面白いぐらいに増減していたのだ。これの元を辿っていくと超シンプル。日本のオンラインゲームは韓国原産のものが多い。あとから輸入リリースをしているわけだが、本国と同じバージョンにしてしまうとユーザー離れが顕著に現れてしまう。そのため本国バージョンに追い付かせようとはせず、一定の距離を保ってついていくのだ。すると次の日本でのアップデートが読めるというわけだ。その情報を下に安いアイテムを爆買いしておき、アップデート時に開放するという単純な構図であった。あとは安く仕入れて高く売るという本当に基本的な商売をネトゲ上で行うことが1つの楽しみであった。

タイピングについては「イータイピング」のスコアで480ほど記録できるぐらいには上達した。会社でドヤれるのはこのスキルがあるからである。(ちなみにオフィス勤務では200あると困らないと言われているらしい)

PC知識も基本的なことからちょっと込み入った部分までは把握することができたので、こちらも会社ではちょっぴり重宝されることもある。ただそれだけ。費やした10年間の見返りとしてはかなり少ない。ネトゲやスマホゲーはついつい没頭してしまうのだが、ほとんどの場合得るものは少ない。退屈さあまりその場凌ぎにやってしまうが、沼に嵌るとそのあとには虚無が待っている。何卒ご注意いただきたい。



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