曲を聞いてて良いなって思う部分を集めてみると、Bメロが多いです。
サビを堂々と好きっていえない困った子なわけじゃないですよ。

例えば、
KIRINJIのエイリアンズだと「長い夜に寝付けない二人の額をなでて〜」のフレーズが一番好き。
スピッツのロビンソンだと「ありふれたこの魔法で作り上げたよ〜」のフレーズ。
吉田拓郎の「落陽」だと「苫小牧発 仙台行きフェリー〜」のところ
他にもたくさんある。

ギターが弾けるとわかるのが、多くの曲でこのBメロにはセブンス・コードが使われているということですね。
まあ、弾けると言っても蟻んこレベルだけど、このぐらいはわかる。

C7とかBm7とかE7とかですね。
セブンスコードの中でも特に好きなのがE7。
音楽の素養はそれこそミジンコレベルなので、音楽的に説明はできません。
でも、E7ほど情感のあるコードはないんじゃないかと思う。
良いですよね、E7。

さっきの例で言うとこの部分
「長い夜に〜」
「この魔法で〜」
「フェリー〜」

ギター・コードの単語帳を作るとしたら、例文として載せます。
全国の受験生はちゃんと例文まで暗記しなきゃいけません。

そんなに好きなんだったら、E7だけ弾いてろよヘンタイ!、と
どこかのイジワルな女が言うかもしれないけど、そういうことじゃないんだよ。

さっき挙げたE7は、同じE7なんだけど、それぞれのE7なんです。
E7でありかつ、「エイリアンズ」のE7、「ロビンソン」のE7、「落陽」のE7なわけです。
「エイリアンズ」のE7と「ロビンソン」のE7、同じ音だけど全く別物なんです。
それに、試しにE7だけじゃーんと鳴らしてみても、そこにそれ以上の意味は生まれないんです。それ自体が素敵な音であることは間違いなんだけどね。

E7に限らずとも、曲に使われている各コードは、その曲のその場面で使われていることで、固有の意味があるんです。

つまり、ある要素は全体の中で位置付けられて、そこで、その要素以上の意味を持つ。
翻って考えてみれば、全体を、それを構成する要素に分解しても、全体が表す意味はわからない。要素の単純な足し算では全体は現れないなんてことになります。

これは言葉の領域でも同じなんじゃないかな。

死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

漱石の坊ちゃんのこの最後の「だから」
これなんか良いよな、なんでこんなに良いんだろうと2017年に横須賀線に揺られながら感じたことを今でも忘れてない。


あと、「坊ちゃん」の冒頭からもう一つ。

親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗な刃はを日に翳かざして、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込こんだ。幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕とは死ぬまで消え

この「ぬ」
この「ぬ」は「ない」の終止形、否定をあらわす語、に留まらない
それに、「しかし創痕は死ぬまで消えない」じゃダメなんです。
「しかし創痕は死ぬまで消えないだろう」
「しかし創痕は死ぬまで消えることはない」なんてもっとダメダメ!

この「だから」と「ぬ」には、この物語、この文脈でしか表し得ない意味があるはず。

一応今思うように説明をしてみる。
「だから」は順接。A→Bということ。
A 清は坊ちゃんの墓に入れてほしいとお願いする
B 小日向の養源寺(坊ちゃんの墓)に清を入れてあげた

AからBが淀みなく進む。
清のお願いを、それを聞き入れるのを当然のことのように叶えてあげる
やさしさや気遣いが、この無機質な「だから」に現れている。


冒頭の部分はリズムが良くて、落語みたい。
「ぬ」で終始することで音節の調子が合ってリズムが保たれる。
あるいは
創痕が死ぬまで消えないなんてわからないじゃないか、この冒頭の語りの部分で、まだまだ20代後半ぐらいでしょ、なんで断言しちゃうの!
この坊ちゃんが絶対に傷跡は消えないと確信している気持ちが「ぬ」に表れている
、とかね。

今挙げたこの2つの語は、両方とも機能語だから、もともとそれ自体に意味はそんなにない。
だから、だから、ぬ、ぬ、だから、ぬ、りんご!
(DAKARAに意味はあるけどね)

けれど、それゆえに、全体の中で位置付けられた時に、元々の要素以上の意味を帯びるのかな?

坊ちゃんの「だから」や「ぬ」は、辞書に乗ってる意味以上の意味を、
間違いなく持ってるんです。エイリアンズの「E7」のように。

でもまだそれが説明できない。
さっき一応説明っぽいことは試みたけど、自分で書いててそういうこと(それだけ)じゃないんだよなと思う。
文学を理解、説明するのは科学の言葉じゃなくて文学の言葉でしか成し得ないのかなと最近思ったりもする。
これはこれでまた別のテーマだから、また考えよう。


64歳の11月に、初めてショパンに感銘を受けたおじさんがいるとする。
そのおじさんにとって、その64歳の11月の瞬間の前と後では、ショパンが持つ意味合いが全く違うんですよね。
64年間も生きてたらショパンなんてどっからしらで散々聞いたことがあるはずなのに。
そのおじさんの人生という全体の中で、64歳の11月という瞬間にショパンが位置付けられたことで、ショパンがショパン以上の意味を持っておじさんのところにやってきたんです。「どうも、こんにちは」って。


でも、その瞬間はどうやったら来るんだい?
宥めすかして甘い言葉で誘ってみたら
ある日突然、君はまたぼくの所にやってくるのかい?


Appendix(参考:U-fret)

長い夜に寝付けない二人の額を撫でて      
E7     Am               G#aug  Gm7  Aaug

「エイリアンズ」,KIRINJI,2000 より

 ありふれたこの魔法で作り上げたよ
                   E7      Am7   D7sus4 D7 B7sus4 B7

「ロビンソン」,スピッツ,1995 より

苫小牧発 仙台行きフェリー
Dm              C                    E7

「洛陽」吉田拓郎.1973 より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?