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「好きな道具を使いたい」という欲求から生まれる創発
お気入りのノートでも、新しく買ったペンでも、「好きな道具」があるとついつい使いたくなってしまう。新しく文房具を買ったときはたいてい無駄にカフェとかいって、なにかを書きたくなる。
こういうときは「アイデアがあるから書く」のではなく、「ノートを使うためにアイデアを書く」みたいなことが起こっていたりする。
これは普通に考えると、すこし滑稽な現象である。手段と目的が逆転しているともいえる。一般的には「手段の目的化」というのはあまりよいことではないように思われる。
ただ、この現象は「手段の目的化になっているよね」とばっさり切ってしまうには惜しいような可能性を感じる。
目的と手段は必ずしも「目的から手段」という順番で考えなくてもよいのではと思う。もちろん、「手段と目的の両方揃っていること」は大切である。
手段の目的化が微妙なのは、手段から「目的や新たな価値」を創出できていなくて、「手段が手段のままで終わっているから」だろう。そうではなく、手段から新たな目的が創発されるのであれば、「手段から入る」というのもまったく悪いことではない。
実際、最近自分のブログの更新がはかどるのも、このnoteというサービスの使い心地みたいな部分も大きな要因だったりする。noteを使ってみたいから書くみたいなことをしているわけだけど、結果的にアイデアが生まれていて助かっている。
noteを書き始めてから新しい研究ネタが見つかったり、新しい出会いが生まれたり、よいことばかりである。
なんとなくそんな自分の行動を正当化するための記事みたいになったけど、たぶん「道具からはじまる創発」というのは「遊びの自己目的性から生まれる創発」と似た構造を持っているから今日この記事を書いたんだろうなと思う。
好きな道具を使うところからはじめるというのも案外悪くないアプローチだと思う。
記事を読んでいただきありがとうございます。サポートしていただけたら飛び上がって喜びます。喜びをモチベーションにnoteを更新し続けていきます。